サトテツ引退

Windows7に切り替わってようやく更新が追いつきました。
うーんやはりフリーズもないし、サクサク起動して気持ちがよいです。
XP時代はmixifacebook、Gmailなどがしょっちゅうフリーズするため
ずっとスマホからしか見れませんでしたが、今後は時間が短縮できそうです。
ただし、XPのハードディスクからデータ移行で相当な時間をとられています。
それでもまだ完全でなく、いま必要とする最低限のものだけを移しただけに過ぎず、
ワード、エクセルなどはまだインストールができていません。
仕事のメインはこちらだけに、やはり前のPC故障は痛手です。
本日は震度5弱の地震があり、低い本棚から本が落下するほどでした。
これが荷物運びをする前のタコ部屋であったら本が雪崩れになって命を落としたかもしれません。
本日はこんなニュースがありました。
【懸命のリハビリ叶わず…“勝負師”佐藤哲三騎手が引退】
“勝負師”佐藤哲三騎手(43)が26年間のジョッキー生活に幕を下ろすことを決めた。
2012年11月24日の京都競馬で落馬した際に、左上腕骨骨折はじめ全身に大ケガを負いながらも、
不屈の闘志で懸命のリハビリを続けてきたが、現役続行できるまでの回復はならなかった。
 アグレッシブな騎乗ができなくなったときがジョッキーを辞めるとき。何よりファンを大事にする男の決断だった。
JRA通算938勝(GI6勝)の功績を残し、ターフを去る。
 エスポワールシチーなどでコンビを組んできた安達調教師「新聞を見て知った。
勝負をあきらめない頼りになるジョッキーだったし、引退するのであれば非常に残念なこと」
東スポWeb 9月16日(火)10時14分配信)


佐藤哲三といえばタップダンスシチーエスポワールシチーなど優駿(株)ホースクラブでの活躍が目立ち
シチーの会員にとってはありがたい騎手だったかもしれませんが、
むしろ僕は2000年の皐月賞ラガーレグルスを買って痛い目にあっており、
アーネストリーも記録では軸に推しているもののヒモはずしばかりが多く
サクラセンチュリー以外ではあまり相性がよくありませんでした。
それでも95年から落馬事故に遭う2012年まで毎年コンスタントに重賞を勝ったのは見事です。
ただ、僕自身は佐藤哲三が活躍する前のレットイットビーレガシーフィールドのほうが印象に残っています。
僕が『競馬フォーラム』の編集記者時代の95年に「ジョッキーの若手対談」の企画が毎月あり、
栗東での若手対談で候補として指名し、実現させたのが佐藤哲三でした。
ちょうどフリーになった年で、成績でも勝ち鞍を三倍に伸ばした有望株だったからです。
ただし、記者時代に栗東へ行けたのは小島貞博騎手のインタビュー取材だけで、
このときは牧田和弥との対談でしたが、現地へは行っていません。
ただ、この対談が関西の漫才のようなノリで大変おもしろく、
佐藤哲三が罰ゲームで女装させられ、家に帰って鏡見たら
「オカンそっくりやった」と語ったのには爆笑しました。
その後は取材する機会がなかったため、急速に印象がなくなってしまったのですが。
ファンを大切にするという姿勢は結構気分屋のところがあり、
ようづべでも無気力なインタビューがUPされていたので疑問を感じますが、
それでも最大限にファンサービスをしていた面もありました。
まぁ、落馬事故さえなければキズナの手綱をとっていたのは佐藤哲三だっただけに
不運といえば不運で、騎手という職業は本当にこういった事故で引退を余儀なくされる
ケースも多々あることが痛感させられます。長い間お疲れ様でした。


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