小牧山城は脚光浴びるか……

10ページデザイン入れと原稿書きを行っていたら明け方になり、
午前中は完全ダウンという時間アベコベになっています。
ようやく明日、某資料が入手できることになったので、
明日は国立国会図書館で残りの資料をあさりつつ、
新橋、麹町と2件打ち合わせに行ってきます。
それにしても休みなしの連闘策が疲労蓄積もひどくなっています。
こんな日常はさておき、K先生の書き込みで知った本題はこちら。


信長の人心掌握術示す墨書、城郭石材に…最古


愛知県小牧市教委は8日、織田信長が1563年に築城した同市の小牧山城で、
城郭の石に書かれた墨書として日本最古の石材が見つかったと発表した。
 本丸北西側の斜面で、堆積岩の一種(縦60センチ、横35センチ、
高さ20センチ、重さ93.5キロ)の石材に、縦書きで「佐久間」と書かれていた。
城郭の墨書は、信長が1576年に築城を始めた安土城のものが最古とされていた。

 市教委によると、「佐久間」は信長が家督を継ぐ以前からの重臣
佐久間信盛(1527〜81年)を指しているとみられる。
小牧山城は信長が手掛けた最初の城で、奈良大学千田嘉博教授(城郭考古学)は、
「最も目立つ工区に重臣佐久間信盛を割り当てて仕事をさせた。
信長の巧みな人心掌握術をうかがわせ、興味深い」と話す。10〜22日、
小牧市歴史館(0568・72・0712)で公開される(読売新聞 6月9日(木)9時24分配信)


「佐久間」が信盛なのか、1584年の小牧・長久手の戦い時にも、
家康が改修しているので、最古といっていいかどうかは疑問ですが、
先日は桃花台新交通廃線跡の耐震補修費用というオマヌケな話題の
愛知県小牧市だっただけに、こちらは少しはマシな話題といえます。
shugoroさんがかつて犬のペロを引き連れて小牧山を探検していた記録は、
2006年5月3〜5日に連載しましたので、シリーズ
小牧山探検隊1小牧山探検隊2小牧山探検隊3をご覧ください。


京都・西本願寺飛雲閣を模したインチキ天守小牧城は、
小牧市歴史館になっていますが、当館で特別公開されるのは興味深い。
地元で普通のサラリーマンやっていたら観に行けたかもしれませんが、
逆に地元の歴史にはまったく興味がなくなっていた可能性もあります。
小牧市ばかりでなく、愛知県全体が本来なら史跡の宝庫なのに、
こういうことにはほとんど興味のない土地柄で、
それでも最近はきれいな案内板が立てられたりしていますが、
町おこしというまでには至りません。
歴史館も地元の小中学生が社会見学や郷土研究に使うだけで、
遠方から観光客や歴史ファンを呼び込もうという方策がないのです。
歴史館には遅ればせながらスタンプが設置されたのですが、
郷土資料以外は記念メダルぐらいしか、お土産がなく寂しい限りです。
全国で萌え萌えキャラなど、宣伝が盛んなのに無縁なのですね。
あの信忠・信雄・徳姫を産んだ吉乃(生駒御前)ゆかりの地なのに。
せめて吉乃像ぐらい建立できないものでしょうか?


追伸、宝塚記念のファン投票の結果発表。
久々にネットから投票してみたけど、1番目に投票した
フミノ軍団フミノイマージンが100位にも入っていないなんて……。
何故だ? 重賞勝ち馬だぞ、距離適正がなくどうせ出走しない
ジョーカプチーノとかに投票しても意味ないだろうが……。
ちなみに1位は2年連続ブエナビスタ
こんなしょぼい相手なら勝って当たり前なのに、
よく取りこぼします。ブエナちゃんって……。


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