いばはち(10月18日)

shugoro2009-10-20

本日は12時より打合わせ。初校戻しで1日が終わったしまい変哲もないので、
18日の久々の取材のことを書きます。取材といっても近場なんですが。
その日は不眠症で寝たのが5時、起きたのが11時過ぎとまたも半日ムダに。
で、もって15時の競馬タイムまでに戻るべく、今回写真が必要な
沼袋の貞源寺にある伊庭八郎の墓(写真上)を撮影に行きました。
いやーこの人の生き様は小説よりすごいです。
明治期には元祖レキジョたちが錦絵の奪い合いをしたといいますが、
土方歳三沖田総司より知名度がないせいでしょうか。
お寺ではわざわざ入口近くに伊庭家の墓を移したそうですが、
僕が行った時間帯にはレキジョさんはいませんでした。
簡単に僕が昔書いた原稿で解説しますと、


伊庭八郎(1844〜69)
心形刀流の伊庭家に生まれ、慶喜が再編した「遊撃隊」に入隊。
鳥羽・伏見の戦いでは胸部に被弾し吐血したが、鎧で貫通せず一命を取り止めた。
その後、箱根山崎の戦いでは左手首を切断され、隻腕になりながらも敵兵を倒して名を馳せた。
さらに各地を転戦し、榎本武揚のいる箱館に行き、歩兵頭・遊撃隊隊長になる。
しかし、木古内の戦いで胸に被弾し瀕死の重傷を負う。病院に運ばれたが、
もはや手の施しようがなく再起不能に。それでも苦痛を顔に出さず、
戦況を気にしながら20日近く生き、最期は榎本の渡したモルヒネ安楽死を選んだ。


まさに満身創痍の人生を送った人で、
最初は学問に打ち込んでいて剣の修行をしていなかったのですが、
剣術をはじめると、血は争えずたちまち頭角を現したそうです。
で、もって京都には三度上洛しているのですが、
二度目までは土産を買ったり、グルメをしたり、
観光気分的なshugoro日記が記されています(こんなこと書くとレキジョから恨まれそう……)
しかし、いざ戊辰戦争が始まると、鬼神の如く戦い、
箱根三枚橋では壮絶な左手首の切断に至る訳です。
実は箱根湯本は三度ほど行ったことがあり、三枚橋は駅のすぐ近くなのですが、
そのときは別の目的で行っているため、なんと写真を撮りそびれている!
でも、たまたま近くにお墓があったのでお参りに行って来たのです。

ついでにということで中野区歴史民俗資料館にも行ったのですが、
運悪く第3日曜は休館! 哲学堂公園(写真左)でスタンプはGETできましたが。
他にも江古田古戦場(写真右)新井薬師、宝泉寺、功運寺などを撮影して、
15時までには戻ってきて競馬観戦をしました。
この日だけでも158枚撮影。これ以上ためれないので先にネーム付しましたが。
自転車で3時間もあれば行ける範囲なのに結構歴史関連の史跡があるもんですね。
しかし、下調べなしに墓を探すのは大変。宝泉寺の板倉重昌の墓は見つからずじまいでした。
まぁ、徒歩でも1時間かからないところですから、いつでも行けるのですが……。
たぶん、島原の乱の特集をしない限り行かないのでしょうね。


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