本日も入稿作業に追われる日々ですが、手打ち原稿もありなかなか進みません。
小牧山紹介2日目です。富山県民なのに立山に登った人はほとんどいないといいますが、
小牧市民ならまず登ったり、訪れたことがあるのが小牧山です。
小学校3年のとき小牧一周という社会見学じみた遠足がありましたし、
1年の遠足は学校から小牧山まで歩きです(僕は前日に熱を出して欠席)。
南麓に市役所があります。東麓には小牧中学校がありましたが、
平成10年に移転し、敷地跡が広大な史跡公園に変わりました。
小牧山は山全体が国の史跡になっており、市役所も移転計画があったのですが、
桃花台新交通の廃止もあって税金の無駄づかいと非難されますので、
当分、移転できないでしょう。江戸期には尾張徳川家の所有となっており、
昭和5年(1930)に町に払い下げられるまでは一般の人は入山できませんでした。
そのぶん、野鳥や動物の宝庫ではありましたが。
戦時中も軍隊が駐屯し入山を禁じられていました。中腹に防空壕があり、
ピストルの弾を発掘しにいったことがあります。
まっすぐ頂上をめざせば10分足らずで到達してしまうのですが、
今回はちょっと寄り道をしてみましょう。
まず正面登山道から登ると公園(写真左)があります。
学校の怪談であったかどうか知りませんが「首つり公園」といわれていました。
戦争が終わったあと軍人たちが自決したという噂です。
僕の小さい頃は日曜日になれば子どもたちで賑わいイベントなどもあったのですが、
公園遊具で遊ぶガキンチョが減ったのか、現在は老朽化が進み「使用禁止」に
なっています。ジャンボ滑り台なんて子どもの頃は迫力あったと思うのですが、
新しい遊具に置き換えられるほどの需要もなく、撤去費用もないのでしょう。
この公園の左手に小牧山稲荷(写真中央)があります。たくさんの幟が奉納されており、
小牧山に住んでいた吉五郎狐の伝説はむかし話でも有名です。
ところが本当の吉五郎稲荷はここではないのです。
ここから少し登山道を少し先に進んだ右手にあり、誰も信仰しないのか、
参道は草に埋もれ鳥居も撤去され、誰も気づかないような場所(写真右)にあります。
霊感の強い人なら気が重くなるといわれるほどで、夜は怖くて参拝できないでしょう。
もう少し進むと中腹に観音洞(写真左)があります。明応年間(1492〜1501)に
乳の出ない妻に食わせようと狩人が7匹の子鹿を連れた母鹿を射ると、
子鹿は7つの岩に母鹿は観音像になったそうです。狩人は以後殺生を悔い
草庵を結んで観音像をまつり、間々観音の前身となりました。
現在の間々観音は小牧山より東の間々本町にあり、
お乳の出ない母親がおっぱいの形の絵馬(写真中央)を奉納する信仰が続いています。
手水舎(写真右)もおっぱいの形をしていて、
人が近づくとセンサーで水が出るようになっています。
他にも観音様の乳から水が出るしかけもあって芸が細かいですが、
神聖な場所ですので決してスケベ根性では行かないでください。
信じられないかもしれませんが昔はここにキャンプ場があり、
炊事場なども残っています。いまとなっては野宿する人は浮浪者だけですが……。
さらに登ってゆくと今は桜の公園(写真左)になっていますが
山頂手前に売店がありました。たしか小学校の頃まで営業していたのですが、
一丁前に観光料金(割高)をとり、接客態度の悪いババアがいた記憶があります。
現在では山頂にもチェリオの自販機があり原価で販売しています。
仕入れのクルマだけは裏の山道から山頂まで登っていけるのです。
さて、山頂についたらぜひ小牧歴史館に入ってください。
4階の展望室はちょうど標高100mで眺めは抜群です(写真右)。
僕が訪れた昨年5月はちょっと曇っていましたが……。
明日は小牧山北側の裏道を紹介します。