何を今さら……

久々に故郷の愛知県小牧市のことがニュースになっていたので、中日新聞から抜粋しました。
    ↓
http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20100224/CK2010022402000030.html


リンクは切れてしまうので本文も転載します。

小牧山頂上付近の石垣確認 階段状、壁のように連続(2月24日/中日新聞

織田信長小牧市小牧山に築いた小牧山城の石垣が、
頂上付近を囲むように配置されていたことが同市教委の調査で分かった。市教委が23日、発表した。
 5年前の試掘で上下2層の石垣が見つかり「土の城」との定説を覆したが、
今回の調査であらためて確認された。27日午前10時半から現地説明会を予定している。
 調査は、試掘で出土した石垣付近など頂上の周辺4カ所で実施。
3カ所から信長築城時の永禄期(1558〜70年)の物と推定される石垣が出てきた。
 いずれも中腹から切り出したとみられるチャートという岩石で造られ、
最も長い部分で長さ10メートル。1段目が1〜1・3メートル、
2段目が1・8〜2メートルの高さに積み上げられた階段状の石垣で、頂上を囲む“壁”のように連続している。
担当者は「清須から移った信長が本格的な居城として位置付けていたのではないか」と話している。」


小牧山城は永禄6年(1563)に美濃侵攻の前進基地として清洲から居城を移し、
永禄10年(1567)に美濃稲葉山(岐阜)城に移るまで居城としていた城です。
その後、廃城になりましたが、天正12年(1584)の小牧・長久手の戦いでは、
徳川家康が目をつけて砦を構築。そのときには信長時代の堀や石垣が活かされました。
この時点ではまだ美濃も攻略できていないわけですから、当然のごとく居城としていたはず。
しかし、我が愛知県はこうした発掘調査が遅々として進まず、
現在になってようやく山頂付近に石垣が発見されたとか。
小学校時代は虫とりや探検に夢中になり、防空壕跡にピストルの弾を探しに行ったことありましたが、
いま思えば国の史蹟ですからね。虫以外のものを勝手にとっちゃいかんですな。
虫ばかりでなく、あのときもっと真剣に考古学やっときゃよかった。
イトコは小牧山に秘密基地をつくろうとして叔父さんに止められ、
仕方ないので自分の庭に秘密基地をつくらせてもらったとか。
はっきりいって信長・家康時代に相当山がいじくられているので、
信長時代の遺構はこれまでよくわかっていなかったのが真相。
でも、本格的な居城って今さらコメントすることでもないでしょうに。
我が故郷の南外山城跡も区画整理に際して本格的な発掘が行われたようですが、
調査が終わればあとは戻して知らん顔。きちんと史跡公園にするつもりもないとか。
せっかく、来年は大河で盛り上がるチャンスなのだから、もう少し史跡にも力を入れてほしいな。
27日に現地説明会があるそうですが、もちろん当日に行けるはずもなく、
市の文化財研究員をやっていたオヤジは完全リタイア。叔父に頼んでみましたがビミョ〜。
このブログを読んでいる愛知の読者さんが代わりに取材行ってきてくれると嬉しいのですが……。


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