小牧山探検隊1

さて、5連休の初日ですが、やはり仕事の1日で終わりました。
こんなことばかり書いていると読者に怒られそうなので、
GWスペシャル連載として3回に分けて(土・日は競馬予想なので)、
名鉄小牧線および廃止される桃花台新交通の増客運動として、
名づけて「小牧山探検隊」のお話を紹介します。
一般の人もあまり知らない小牧山の話をしますのでご期待ください。
  
小牧山は市街地西に位置した標高85.9mの小山で濃尾平野に孤高する戦略上の要地。
永禄6年(1563)織田信長が美濃へ進出するため清洲から小牧山へ拠点を移します。
このとき都会だった清洲から何もないド田舎の小牧へ移転すると家臣の反発を招くので、
信長はを一計を案じて最初小牧より北の「二宮(現在の犬山市楽田)へ移る」
と言いました。家臣が動揺するなか「二宮はやめた。小牧にする」と言って、
家来たちの不満を鎮めたといいます。その後、永禄10年(1567)に稲葉山城
攻略するまで居城となりました。史料によれば山の南側に城下町があったようですが、
その面影はありません。信長の話でもうひとつ有名なのが、
吉乃と呼ばれた生駒御前との純愛話。信長の正室は道三の娘濃姫ですが、
実際の正室ともいえるのが信忠・信雄・徳姫を産んだ吉乃です。
吉乃は信長より7歳も年上で未亡人だったのですが、美人だったため、
信長の寵愛を受け側室となりました。しかし、永禄9年(1566)に39歳の若さで
亡くなります。信長のショックは大きく、いつも小牧山の城から吉乃の実家(江南市)の
方向を眺めて涙したということです。心温まるお話ですね。
小牧山が廃城になった17年後の天正12年(1584)、再び歴史の舞台に登場します。
そうです。徳川家康が秀吉を局地戦で破って名を知らしめた小牧・長久手の戦いです。
このとき犬山に本拠をおく秀吉に対し、家康は小牧山に本拠を置いて対峙します。
実際の戦いは長久手で行われたのですが、小牧でも2回小競り合いがありました。
そのひとつが姥ヶ懐の古戦場。小牧山の東500mあたりのところで目立たない石碑が
ポツンと建っています。ここでアドバイス。歴史や観光に使うのに小牧山の撮影は
どこからのアングルがよいかということです。
ちょっと昔なら南側から合瀬川を入れて撮影できましたが、現在はアピタやいろんな
建物が邪魔して撮りにくくなっています。穴場はよく歴史本で使われる東側(写真参照)。
ちょうど小牧高校の北の小川あたりです。ウチの母の実家近くで、姥ヶ懐古戦場の
石碑もこの近くにあります。ただどうしても山に近づけば近づくほど、
城が撮りにくいのです。おすすめは桃花台新交通の小牧原駅。
逆光になりがちですが高架にあるので山と城を見事におさえられます。
小牧城は昭和43年(1968)に京都の飛雲閣を模して完成したインチキ城ですが、
入場券のような正面から撮るのも木々が生い茂って意外に撮りにくいです。
むしろ正面裏からのほうが写真のように全景がおさえられます。
小牧城は小牧歴史館として市民憩いの場になっており、昨年は愛知万博の前売優待で
無料で入館できました。展示物は昔とほとんど変わっていませんが、
小牧・長久手の戦い紹介はずいぶん様変わりしました(時間がなくて全部見れなかった)。
 
もうひとつ貴重な発見は嬉しいことに記念スタンプができたことです。
観光不毛の小牧市で唯一の記念スタンプといえるでしょう。
本当なら名鉄桃花台の駅にもスタンプを設置すべきなのですが……。
まあ本日はありきたりの話で終わりましたが、
明日以降はもっと突っ込んだ話をします。お楽しみに。


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