オグリキャップ最後の現役産駒逝く

原稿脱稿後にもう1冊の校了PDFが上がってきたので、
またもや夜に『ココス』で原稿チェックして帰ってきました。
6月は極力出費を抑えたものの、7月に入ると青春18も控えているし、
いろいろな交際があるので出費がかさみます。
そのため、せめて日常の出費は抑えたいと考えているのですが。
本日はこんなニュースがありました。


オグリキャップ最後の国内現役産駒が死亡】
 1988年から90年にかけて競馬ブームを起こしたオグリキャップの最後の
国内現役産駒アンドレアシェニエ(金沢・菅原欣厩舎、牡11歳)が2日、
死亡したことがわかった。1日の金沢でのレースで右前脚を故障し、
安楽死の措置が取られた。
 同馬はJRAに在籍した時期もあるが、主に金沢競馬で走り、通算83戦14勝。
その父オグリキャップは2007年限りで種牡馬生活を引退した後、
10年7月3日に25歳で死亡し、国内での現役産駒はアンドレアシェニエ1頭になっていた。
産駒は英国で障害戦を勝ったロックスルール(せん7歳)もいるが、
その消息は不明サンケイスポーツ 7月3日(火)9時30分配信)


オグリキャップとは懐かしい響きですが、まだ現役産駒がいたことも驚きでした。
残念な最期になってしまったことは、ファンにとっても悲しいものがあります。
オグリキャップとはいえば競馬ブームに火をつけた立役者で、
オグリの初仔オグリワンが誕生したときは、それはもう大騒ぎでした。
期待通りの勝ちはなかったものの、94年の小倉3歳S・GIII2着、
オープンのききょうSも勝ち、タヤスツヨシのダービーにも出走したのだから偉いものです。
『競馬フォーラム』でもしつこくダービーで本命打っていた予想家もいましたし……。
その後、オグリワンは福永騎手の重賞初騎乗となった中日新聞杯ブービーに敗れたあと、
名古屋に転厩し、そこから中央に二度挑戦し、
最後は高知に転厩して通算109戦7勝で引退。
長野県佐久市のスエトシ牧場で余生を送っています。
初年度こそアーケエンジェルやアラマサキャップなどそこそこの活躍馬が出たのですが、
その後は目立った活躍馬もなく、僕が『牧場めぐりガイド』で取材に行ったときには、
そりゃもう他の生産牧場で酷評されていました。
某場長なんかは「オグリの血を入れたら何代にわたって抜くのが大変」
なんて云っていましたからね。
今は亡き優駿SSの堀場長もいろいろ苦労されていたようですが、
やはりドラマのような産駒が出るに至りませんでした。
最後の産駒は2007年生のミンナノアイドルでしたが、
中央で1走(14着)しただけで早々に引退しています。


やはりこういうドラマ性のある馬は突然変異だったのか
産駒には受け継がれないものなのでしょうか?
SS系以外の内国産がほとんどパッとしないことにも厳しい現実がうかがえます。
あのスポ魂ドラマを築き上げたミホノブルボンも、
初年度こそはファーストサイアー3位でそこそこ活躍馬が出ていました。
ミヤシロブルボンがスペシャルウィークのダービーに出走しただけでも特筆ものです。
その後はやはり故障に泣いた馬が多く、中央では重賞勝ち馬を出せないまま終わりました。
このミホノブルボン産駒ですら、現役では現時点で地方に2頭いるだけです。
それでも中央未勝利で北海道に転厩した
ブルボンノキセキは6月28日に初勝利を挙げ、
名古屋に転厩したティープランも6月20日に5勝目を挙げました。
まぁ、重賞まではなかなか期待できるものではありませんが、
1日でも長く現役生活を続けてほしいものです。
そして11歳まで走り続けたアンドレアシェニエのご冥福をお祈りします。


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