オグリキャップの馬主・小栗孝一さん死去

shugoro2015-10-09

地方時代のオグリキャップの馬主で
岐阜県馬主会顧問・元会長の小栗孝一さん
8日午前1時55分に亡くなりました。85歳。
冒頭写真はスポーツ報知から拝借しました。
オグリキャップといえばもう知らぬ人はいない伝説の名馬ですが、
この頃、小栗氏は中央競馬馬主資格を取得していなかったため、
佐橋五十雄氏に説得され、2000万で売却。
その後、この佐橋氏が脱税疑惑で馬主資格を失いそうになったため
近藤俊典氏に1年3億という高額で売却されました。
小栗氏のほうは89年に中央の馬主資格を取得し
94年には半妹オグリローマン桜花賞を制覇します。
しかし、オグリローマンもJRAではこの桜花賞のみ勝利で
他にもオグリホワイトやオグリトウショウなどが中央入りしましたが、成績はふるいませんでした。
ちょうどオグリキャップで競馬ブームになる頃はまだ僕は競馬とは疎遠で
競馬雑誌の記者になった頃はタヤスツヨシがダービーを制覇した95年でした。
北海道の馬産地へ取材に行ったこともありましたが、
やはりオグリキャップブームで競馬に女性ファンが増えたと同時に
ファン層がガラリと一変し、マナーが悪くなったということを聞きました。
実際に地方競馬を担当していた僕は、オグリキャップのことを後付で知るのですが、
このときリサーチしていたのが、オグリキャップの地方時代の成績表に
6度も名を連ねるマーチトウショウで実際オグリキャップを二度負かしています。
しかし、オグリフィーバーと同時に笠松の一線級の馬たちが
いっせいにJRAへ移籍してしまい、マーチトウショウもJRAへ移籍しましたが
4戦すべてシンガリで古巣に戻ってきています。
その後、高知へ渡り、愛媛県の乗馬クラブで余生を過ごしました。
また、オグリキャップが袖にふった東海ダービーを制したトウカイシャーク
JRAへ移籍し、こちらは900万条件まで勝てたものの
最後は障害で競走中止し、この世を去っています。
小栗さんもJRAに何頭か移籍させますが、
オグリローマンを除けばどの馬も泣かず飛ばずで
あの頃、脇谷英康笠松競馬の攻略法を聞いたところ
「オグリの冠号馬は人気になるけど走らない」
と語り、オグリキャップの妹弟や仔たちも数年は話題になりましたが、次第に風化していきます。
いま思えば最初の仔オグリワンがダービーに出走しただけでも凄いことなのですが、
もうその頃にはサンデー旋風が始まっていました。
それでも小栗氏が偉かったのは、競走馬でひと山当てようと考えたことがなく
馬を愛し、笠松や北海道で安馬を何頭も所有して馬を走らせていたこと。
記録をみると、佐橋氏は2011年、近藤氏は1999年を最後に所有馬がおらず
現在もオグリ冠号馬を走らせていたところを見ると
オグリキャップの偉大な母ホワイトナルビーを所有した
70年代頃から50年近く馬主を続けたことになります。
これほど長い馬主歴はフミノ冠号谷二(たに・つづく)氏ぐらいしか
見当たらないのではないでしょうか?
小栗さんはそんな多くの所有馬の中からGI馬を輩出しましたが
フミノさんはまだGI戴冠がないので、最後の世代フミノムーンに期待がかかるのです。


ところでこの小栗孝一さん、あまり知られていませんが
郡上八幡の日の出町の出身で、郡上八幡から天下(GI)を獲った方なのです。
しかも日の出町といえば、稲荷町『葵の城』のすぐ近く。
旧姓は和田だそうで、小栗さんの生家がまだ健在なのか
あるいはその生誕地を突き止め、生涯馬主を続けた小栗さんを顕彰し
ぐじょおの歴史に足跡を残したいと考えています。


本日の木之前葵ちゃん
5Rサムライサンデー6着(7番人気)
6Rメイブルーラグーン2着(5番人気)複勝340円アタリ
7Rファイナルダンサー3着(4番人気)複勝190円アタリ
11Rイワクラギンガ6着(7番人気)


4鞍騎乗で勝利こそありませんでしたが、
6Rでは際どいハナ差の2着ですし、二度馬券に絡んだのだから
むしろ健闘を称えるべきでしょう。
来週は笠松開催でどこまで騎乗確保できるかですが勝ち星を重ねてほしいと思います。


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