個性派名馬2頭逝く……

shugoro2012-04-10

本日、「青春18」利用最終日に姫路から「サンライズ瀬戸」のノビノビ座席で、
無事、東京に戻ってきました。東京は晴天で桜も満開。
その足で桜の撮影に行きたくなりますが、今回の取材での撮影は1802枚となり、
さすがに1日で整理が終わるはずもないので、
とりあえず5日間歯抜けで先行してUPします。
やはりノビノビ座席はいいですね。熟睡とまでいかなくても、
横になれるぶん、しっかり睡眠をとることができ、
そのまま帰宅後にたまっているメールの処理から
伝票整理まで終え、銀行までは行くことができました。
ただ、さすがに夕方あたりで睡魔が襲ってダウンしてしまいましたが……。


そんな日常の話題はさておき、この取材期間中に個性豊かな名馬が2頭も逝ってしまいました。
昨年5月20日に閉鎖されたメジロ牧場(現・レイクヴィラファーム)に繋養されていた
メジロパーマー(牡25歳)が7日、心臓麻痺のために亡くなったそうです。
メジロパーマーといえば92年の宝塚記念有馬記念の両グランプリを制した名馬で、
メジロイーグル譲りの逃げ馬で有名でした。
さすがに宝塚記念の頃はまだ競馬を初めていなかったので買っていませんでしたが、
92年の天皇賞(秋)から買い続け、有馬記念では単勝を獲らせていただきました。
しかし、なぜかあのときレガシーワールドとの馬連をもっておらず、
ビギナーズラックの初万馬券根岸Sのハッピィーギネスだったのですが……。
それでも僕がミホノブルボン同様、競馬にハマルきっかけをつくった
1頭だっただけに、種牡馬引退後に一度も逢いに行くことができなかったのは残念でなりません。
障害帰りといい、あの唯我独尊の逃げといい、競馬を盛り上げた馬でした。
通算は38戦9勝、2つのグランプリに加え、91年札幌記念GIII)、
92年新潟大賞典GIII)、93年阪神大賞典GII)を制しました。
94年に引退後、アロースタッド種牡馬となりますが、
産駒成績はふるわず、重賞勝ち馬は京都HJを制したメジロライデンのみ。
2002年には種牡馬を引退し、故郷のメジロ牧場に帰って余生を過ごしていました。
冒頭写真は僕が単勝500円を買い、的中させた92年の有馬記念(写真/JRA)のものです。


そして85年のダービー馬シリウスシンボリも8日、北海道日高町の沖田牧場で
老衰のため亡くなりました。享年30歳。
シリウスシンボリは現役時はまったく知らないのですが、
ちょうどオグリキャップが連勝街道を進んでいたときに
毎日王冠レジェンドテイオーダイナアクトレスに蹴りを見舞ったうえで
2着に来たことで有名になりましたね。
加藤和宏騎手にとってはダービーを獲らせてもらった名馬ですが、
その経緯では乗り替わりや転厩など紆余曲折がありました。
実は93年の『競馬フォーラム』での初取材が、この加藤和宏騎手だったのです。
しかし、このときは無知な編集長が「ダービーについては触れるな」とインタビューを制限し、
こちらも初めてで緊張してしまったので、うまく話を聞き出せなかった
苦い思い出の取材でもあったわけです。
その後、東京競馬場のチャリティー募金で加藤和宏騎手と再会したときのほうが、
むしろ、いろいろと会話ができて楽しかったのですが。
当時は調査不足でしたが、ダービー制覇後に「ゆかりちゃん、やったよ!」の名言が飛び出したように、
もっとシリウスシンボリとの関わりを聞き出せなかったのが残念です。
種牡馬時代のシンボリ牧場は見学禁止で、引退後の沖田牧場にも結局行けずじまいでしたが。
競馬ブームを盛り上げた2頭の個性派名馬の冥福をお祈りいたします。


【人気blogランキングへ】