オフサイドトラップ逝く

9月に入りましたが、どうも月末や月初めは書類をいろいろ作成せねばならず、
なんだかんだ云っても雑用に時間をとられた1日でした。
ここ1カ月は仕事も相当セーブしてしまったので、新規の営業も再開しているのですが。


日常の話はつまらないので、本題はサッカーならぬ競馬の話です。
昨日のニュースでしたが、98年の天皇賞オフサイドトラップ(牡20)が、
8月29日16時58分に繋養先の明和牧場で、病気のため亡くなったそうです。
オフサイドトラップの馬名の由来はサッカーから来ていますが、
美浦加藤修甫厩舎から93年デビュー。3戦目で未勝利を脱出すると、
セントポーリア賞でのちのオークスチョウカイキャロルを破り、
3連勝で若葉Sも制して皐月賞・ダービーでは穴人気を集めましたが、
それぞれ5・7着と敗れました。その後は屈腱炎に悩まされながら走り続けましたが、
なかなか勝ち切れませんでした。旧8歳で鞍上を安田富男騎手から
蛯名に乗り替わって七夕賞で重賞初勝利となると、続く新潟記念も勝ち、
3連勝でついに念願のGI・秋の天皇賞を制覇しました(このときの鞍上はKYの柴田善臣
ジリ脚のトニービン産駒がGI勝利というのは特筆できることなのですが、
このレースでは圧倒的な1番人気だったサイレンススズカが故障して競走中止
予後不良となる悲劇もあったので、旧8歳馬初の天皇賞初制覇はあまり評価されず、
同年の有馬記念を最後に引退し、門別のブリーダーズSSで種牡馬となりましたが、
産駒には恵まれず2003年に種牡馬引退。その後は日高ケンタッキーファーム
明和牧場で功労馬として余生を過ごしていたようです。


ちょうど同馬が活躍した93〜98年は競馬ブームの最盛期でした。
JRAは97年に売上4兆円のピークに達し、
その後は右肩下がりになって歯止めがきかなくなっているのですが、
90年代はそれでも競馬関係の仕事(馬券じゃないよ)で飯が喰えた時代でした。
この当時はレンタカーを使って北海道へ何度も取材に出かけています。
オフサイドトラップが引退後に繋養された門別のブリーダーズSSを
取材したことありますが、2003年を最後に北海道の馬産地の取材はしていません。
それにしても驚いたのは、種牡馬引退後に移った日高ケンタッキーファーム
2008年限りで閉鎖されていたことです(疎遠になっていて知らなかった)
同牧場はスポーツや宿泊施設のあった観光牧場で、
JRA最盛期の97年に宿泊したこともあります。
このときは素泊まりでしたが、宿泊料がものすごい高かったのと、
施設利用は別料金なのに入園500円は高いだろという印象でした。
そのぶん宿泊者用のアメニティグッズもすごかったのですが。
ここには種牡馬を引退したスダホークオフサイドトラップも繋養されていました。
しかし、2003年に経営破綻し、その後は町や地元が出資して引き継ぎましたが、08年に閉園。
オフサイドトラップも明和牧場に移りました。
この明和牧場も97・98年にまだ健在だったハイセイコーを取材したことあります。
写真もまだポジやネガフィルムでしたし、
ポジより安価なネガではジャカスカ撮った記憶もあります。
フィルム・現像代考えてもやはりバブリ〜な時代だったんですね。
北海道へ軽く取材といっても飛行機、レンタカーを使えば10万以上は軽く使ってしまいますから。
ということで天皇賞もはずしたし、オフサイドトラップの馬券で獲った思い出もほとんどないのですが、
競馬最盛期を盛り上げた1頭ということで記憶にとどめておくと同時に、ご冥福をお祈りいたします。

(写真/JRA)

オフサイドトラップ 91年生 栗毛
トニービン/母トウコウキャロル/母父ホスピタリテイ
通算28戦7勝。98年七夕賞GIII)、新潟記念GIII)、天皇賞・秋(GI)(写真)


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