オグリキャップ逝く(7月3日)

shugoro2010-07-06

記事が遅れてしまったが、競馬の仕事をやっていた身としては、
追伸とかで書くものではないので、本日書き留めておく。
3日にオグリキャップ号が繋養先の優駿SSで、
放牧中に転倒し、右後肢を骨折し亡くなった。25歳だから大往生だろう。
ちょうど、この日は福島競馬場へ出かけており、
その翌日、携帯のニュースで知った。
オグリキャップは通算32戦22勝(地方12戦10勝)、
88・90年有馬記念、89年マイルCS、90年安田記念のGI4勝をし、
殿堂入した名馬である。多分、僕と同年代かそれに近い競馬ファンは、
オグリキャップの現役時を観ている方が多いと思う。
でも、残念ながら僕は当時はまだ競馬とは疎遠だったので、レースを生では見ていない。
地方からやってきて中央勢をなぎ倒すサクセスストーリーは、
ハイセイコーと並ぶアイドルホースとなった所以だが、
クラシックには出走できなかったため、ハイセイコーほど社会現象になったわけではない。
それでもぬいぐるみなどの商品化で若い女性ファンを拡大したことは事実である。
僕が競馬にはまり込んだのは92年からで、そのときもスターホースがいた。
『競馬版・巨人の星を地(ノンフィクション)で演じたミホノブルボンである。
しかし、このブルボンのレースですら生中継で観たのは最後の菊花賞だけであった。
競馬は年々売上を伸ばし、馬券だけでなく馬のストーリーものも出版物で氾濫した。
まだ、競馬の情報がタイムリーに拾いづらかった時代だからこそ、
月刊誌でも重賞の予想が成り立ったのである。
しかし、オグリキャップが引退した90年から、ブームに便乗したミーハーなファンが増え、
競馬場や牧場見学のマナーなどが問題となっていた。
オグリキャップ自体には97〜99年まで牧場の取材で3年連続会ったことがある。
当時の優駿SSは別の場所にあり、売店や見学台なども設置されていた。
同時期に最晩年のハイセイコーにも会いに行った。
ハイセイコーも引退から数年は客寄せパンダになったが、
消長の早いサラブレッドの世界である。それほどブームが続くわけもなく、
放牧地近くの閉店した売店の建物が栄枯盛衰を物語っていた。
ちょうどその頃、優駿SSの売店でもオグリのポストカードが、
半額と叩き売りされていた。おそらく作りすぎたのであろう。
オグリキャップのブームで夢見た馬主たちが笠松の有力馬を、
ごぞって中央に放出した。そしてアンカツ・アンミツ兄弟も去った。
冒頭写真笠松競馬場オグリキャップ像である。
2005年に脇谷英康と初めて行ったときに撮影したものである。
馬券は当たらなかったが競馬の雰囲気やグルメが好きだった。
似ていないと悪評であったが、この像には献花台が設けられたという。
長年競馬を愛したファンだけが献花をするのであろう。
何度も廃止の危機に立たされ、オグリキャップ記念交流重賞のグレードをはずした。
それでも笠松のすごいのは廃止になった高崎競馬の調教師たちを受け入れたところにある。
人情より金の時代になっても、ラブミーチャンが中央挑戦したように、
何度も話題になる笠松競馬。競馬不況を打破する救世主のスターホースは、今後誕生するのだろうか。
≪訃報≫
96年のジャパンCを勝ったシングスピール(牡18)が、
2日(現地)イギリスのダルハムホールSで蹄葉炎のため死去。
こちらはファビラスラフインとの叩き合い生中継で観てたし、
ローエングリンアサクサデンエンなどの産駒も知られているので、
オグリより印象深い。ご冥福をお祈りいたします。

≪追伸≫
『盛興園』からバトンタッチした『香林園』初ランチ。
メニューに若干の変化があり、野菜そばがタンメンになっていた。
味は変わらないが、麺、チャーハンともに量が前より多かった。
新装のサービスか、それとも大柄な僕を大食とみてサービスしてくれたのか。


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