トウケイニセイの思い出

昨日のことですが、岩手の名馬トウケイニセイ
繋養先の馬っこパーク・いわて(岩手県滝沢村)で25歳で亡くなった。
岩手で43戦39勝、2着3回、3着1回というすごい成績をおさめた馬だが、
残念ながら現役時の勇姿は生では観ていない。
ただ、ちょうど『競馬フォーラム』で編集をやっていた時代なので、
何度か記事で取り上げたことはあるし、
旧知のTカメラマンが愛した馬だったことで思い出深い。
初めて連をはずした旧9歳の南部杯は当時、ダートで無類の強さを誇った
ライブリマウントとの対決で話題をさらった。
しかし、ヨシノキングにも遅れをとって3着。
ただ、ラストランの桐花賞も勝ち、テレビの特番が組まれたとき、
Tカメラマンが出演していたことは覚えている。
初めて生で観たのは97年の北海道取材でのことだった。
当時の繋養先・日高軽種場農協門別種馬場にはあのミホノブルボンがおり、
他にもイナリワンダイタクヘリオスもいた。
トウケイニセイもそこで種牡馬になったが、やはり地方だけの実績では、
生産者の評価は厳しく、初年度こそ25頭つけたものの、
あとは一桁台となり、2000年にはわずか1頭となってしまった。
最後にトウケイニセイに会ったのは99年だと思う。
この頃は種付頭数も減って馬っ気を出し、2歳牡馬の調教に入れ込んで、
乗り手から「牡馬だよ、牡馬」と云われていたのが可笑しかった。
最後に日高軽種場農協門別種馬場に行ったのが2003年。
しかし、この年にはミホノブルボンも故郷のファニーフレンズ
(現・スマイル)ファームへ移動していたので、場長に挨拶に行っただけで終わった。
トウケイニセイは2004年に種牡馬引退し、えりも町のエクセルマネジメントで余生を過ごしていたが、
その後は馬っこパーク・いわてに移動してきた。
2011年の震災で馬主が終生飼育が困難になると
トウケイニセイ基金が有志によって立ち上げられたとかで、
いかに愛されていた名馬かがうかがえる。
それにしても知らなかったとはいえ、ビックリしたのは、
日高軽種場農協門別種馬場が2010年限りで閉場になっていたことだ。
全盛期には静内・三石・浦河・荻伏の5場あったのに。
もうミホノブルボンイナリワンなどは移動していたが、
テイエムオペラオーダイタクヤマトなどがいたし、ゴーカイもいた。
競馬の仕事とも疎遠になって、馬産地へ足を運ぶ機会を失ってはや9年。
もう車の運転もペーパー化してしまったが、
また近いうちに行けるチャンスをもうけたいと考えている。


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