韓国関連の知り合い

韓国関連の仕事で僕のほうも少しでも協力しようと、知り合い関係を探してみたのですが、
なにせ、韓国に一度も行ったこともなく、言葉もしゃべれないものですから、
なかなか思い当たるふしもありません。
はっと気づいた1人目が2006年2月10日に28年の編プロの歴史を閉じたI川さん
渡韓し日本語の教師をしている方で、ベテラン編集者としての実績もありましたから、
まさにとってうってつけだったのです。
帰国していると思って正月早々実家に電話してみたのですが、「いない」と云われてしまい、
メールを打ったら帰国している旨の返事をもらいました。
実家では怪しい人間に思われてしまったのかもしれません。
しかし、I川さんは大変忙しい方で、うまく機会があえば再会したかったのですが、
結局のところはそれは叶いそうにありません。僕のほうも自由な時間は皆無。
続いて本日ふと思い出したのは韓国通のO坪さん
10年以上前に大変お世話になった方で、脚を向けて眠れない方です。
O坪さんは競馬バブルの頃、よく馬の原稿を書いており、
『競馬フォーラム』でジョッキー対談の取材を執筆してもらったことがありました。
しかし、僕のほうは『競馬フォーラム』だけで喰えなくなって辞めたあと、
毎年、冬場だけ半年間お役所勤めをしていましたが、春先からの半年はまったくのぷぅでした。
なんていったって、現在からは想像がつかないほど、当時は仕事がなくだったのです。
その『競馬フォーラム』で机を並べて仕事していたパー子ちゃん(あだ名)が、
退社してオランダへ渡る直前にO坪さんの連絡先を教えてくれたおかげで、
O坪さんと連絡がとれ、その後、アスペクトでの仕事つながりができました。
こう考えるとパー子ちゃん(現在では大先生)へも脚を向けて眠れないわけです。
(パー子ちゃん、まさかオランダから読んでないだろうね……)
それでも最初は「仕事がないよ〜」とO坪さんやK岩さんにおねだりしていたほどですから……。
しかし、そのO坪さんとも競馬の仕事がなくなってからは、
疎遠となってしまい、もう10年近く会っていなかったのです。
O坪さんは一度体調を崩されてから、一時は仕事をセーブしていたようですが、
近況をきくと正月がないほど忙しいようで、出版界のデフレスパイラルを痛感させます。


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