先日、大宮の鉄道博物館に行ったばかりだったのですが、
本日も原稿受取が大宮ということで再び行ってきました。
埼京線の快速を使っても片道1時間はかかるのでやはり遠い。
帰りは駅弁を購入して湘南新宿ラインの後方車両のボックス席で
駅弁を食べながらなんて悠長なことを考えていましたが、
その湘南新宿ラインは満員で大宮からでも座れそうもない大混雑。
仕方ないのでホームのベンチで駅弁ではないかしわめし880円を食し、
埼京線で寝る鉄しながら戻ってきました。
そんな日常はさておき、俳優の地井武男さんが亡くなりました。享年70歳。
ここで取り上げたのはかつて『競馬フォーラム』編集時代のときに、
「フォーラムインタビュー」で取り上げた縁があるからです。
もっともこの取材には立ち会っていませんが。
当時は月刊誌で競馬予想が成り立った時代で、
『馬劇場』でも相当オトボケ企画が目立ちましたが、
『競馬フォーラム』でその最たる失敗が、この地井さんのインタビューだったわけです。
当時の編集長と地井さんが旧知の仲だったということで、
競馬雑誌のインタビューに地井さんが登場したのですが、
もう、インタビューの内容が競馬とはまったく関係がなく、
ポカ〜ンとするような中身でした。結局、当然のことながら版元からクレームが来て、
多少は競馬予想の話題に書き直していたようですが。
編集長は奇をてらったつもりではあったかもしれませんが、
結局はタレントに支払うギャラも高く、2回で終了しました。
2回目は矢崎滋さんで、少しは競馬に突っ込んだ内容ではありましたが。
地井さんは『ちい散歩』などで味のあるルポをしていてむしろ好感がもてる俳優で、
何の罪もありませんが、土俵の違うタレントを使うべきではないと思ったものです。
まぁそれでも許された古き良き時代だったのでしょう。
それなら『サラブレ』で雛形あきこに勝負服を着せ、
それをプレゼントする企画のほうが、ずっと若者に受けたのです。
最近はJRAがAKB48を起用することで、非難の声もありますが、
むしろまだJRAはAKB48の市場が介入できるだけマシとはいえるでしょう。
AKB48がアイドル不足に悩む鉄道界に見向きもしないのは、
それだけ鉄道アイドルという商売が成り立たないことがわかっているからです。
もちろん、全然競馬を知らないタレントに高額なギャラを払う余裕があるなら、
もっと競馬ファンに還元すべきというのは当然といえますが。
ただ、フジTV『みんなのKEIBA』のMCをつとめる宮澤佐江ちゃんは、
結構、競馬は好きそうですし、過去の歴代MCに比べればかなりよいとは思います。
もっとも番組内でパドックとか重要な部分を割愛するのは腹が立ちますけどね。
こういう番組も雑誌作りもしょせんはトップの権限です。
しかし、人徳だけで編集長になり、編集も競馬もロクにしらない人間がトップに立つと、
下で働かされる人間は馬車馬のようにこき使われるだけでたまったものではありません。
むろん、売れなければ更迭されるのですが、当時はまだ「レイティング」という
馬の偏差値だけで雑誌が飛ぶように売れていたのが救いでした。
ただ、さすがに95年末あたりから、版元の意向に従おうとしない、
編集長更迭の人事は進行していました。
それにもかかわらず、中山大障害は取り上げながらGIのスプリンターズSを割愛したり、
ジョッキー列伝で『競馬ブック』成績欄の右ページにいるような
地味なU騎手を取り上げたりするなど、
トンチンカンなことばかりやり続け、僕や後輩の善君が田豊や沮授のように
いくら諫言しても聞き入れてもらえず、月刊から隔週刊に移行し、
編集部が2つに分裂する前に『競馬フォーラム』を去ったのです。
その後、善君も退社したあとで、やはり編集長は更迭されます。
それでもそれなりの補償待遇がもらえていたのですが、
やはり禁断の果実と云うべき、競馬雑誌の編集長の夢が捨てきれずに元編集長も辞めました。
むろん、その後は他の競馬雑誌の編集長に返り咲くこともなかったのですが。
でも、それはちょうどよいタイミングで辞めたと思われます。
その後、隔週刊で続けた『競馬フォーラム』も売上減に歯止めがかからず、
さらに馬鹿な編集長に変わって、ますます売れ行きを落としていきました。
最後は僕の知り合いで、競馬雑誌の経験もある優秀な編集者が編集長になりましたが、
もう死に水をとるような形だったため、回復できるような見込みはなく、
2007年6月をもって廃刊になりました。
僕が編集をやっていた頃の編集長はすでに亡く、
今となっては反面教師となり、良くも悪くもの思い出です。
そして本当に地井さんと旧友であったのなら、
向こうで仲良くやってほしいと思いつつ、地井さんのご冥福をお祈りします。