調教師免許試験に合格した水野貴史騎手の思い出

本日は19時より赤坂で打ち合わせがあり、
打ち合わせのあとに「飯でも」のつもりであったが、
新しく開店した九州料理の店に行こうということになり、
結局はアルコールが入って午前様になってしまった。
翌日は急遽、半蔵門での出張校正が入ってしまったので何かと慌しい。


というくだらない日常はさておき、NARでは平成25年度第1回免許試験新規合格者の
発表があり、今回の新規合格者は調教師6名、調教師補佐1名、騎手1名であった。
その調教師試験合格のなかに懐かしい騎手の名を見つけた。
浦和所属の水野貴史騎手である。
水野貴史騎手は双子の兄がJRAの騎手だった水野貴広で、
兄のほうはすでに2005年5月で騎手を引退し、2006年に厩舎を開業している。
そして弟の水野貴史は高崎の父・水野清貴厩舎に所属し、
2004年限りで高崎競馬が廃止されると浦和に移籍して活躍していた。
高崎のラスト3年はリーディングジョッキーだった。
僕が『競馬フォーラム』の記者&編集者時代に、
この双子の兄弟はそれぞれ別々に誌面で取り上げたことはあったが、
残念ながら水野貴広伊藤直人の若手騎手対談の取材には立ち会っていない。
だが、まだ高崎競馬が元気だった95年に水野貴史騎手の取材をしたことがある。
このときはたしか僕が立ち会った地方競馬の取材では初めてだった。
取材のアポ取りはP子がやってくれたが、
いざ、カメラマンとライターと編集者の立場で新米だった僕が高崎競馬へ訪れるとビックリ仰天。
レースの時間帯は公正を守るため、騎手にインタビューができないというのだ。
これは主催者が決めていたことなので、こちらの不手際でもあるのだが、
レース前の10分だけ撮影がOKされた。
その際にプレゼント用のサイン色紙に可愛らしいサインをもらったのだが、
何か関係者立会いのもと重々しい雰囲気で、会話もほとんどできなかった。
仕方ないのでレース写真はカメラマンに任せ、僕とライターは競馬観戦を楽しんでしまった。
広報は騎手との取材はNGであったが、特観席と昼食を用意してくれる配慮もあった。
ただ、あとから編集長のカミナリが落ちるのが怖かったので、
一応、証人としてカメラマンとライターにも事情を説明してもらったが。
結局、インタビューのほうは後日、境町のトレセンで行うことになり、
そこには編集者の立会いの必要がなかったので、ライターが単独で行った。
ところが後日さらなる事件が起きる。そのライターの書いた文章が乱れまくっていた。
それまでは普通にいい文章を書いていたライターが急におかしくなってしまったのだ。
理由はよく分からないが、失恋が原因と云われた。
失恋で文章がこうもおかしくなってしまうのかと当時は僕もかなり恐れたものだ。
いったん書き直しさせても、いっこうによくならない。
結局、編集者と編集長総がかりで手入れして文章を直したが、
なんか水野貴史騎手にはあのとき申し訳ないことをした気分で一杯だった。
当時、『競馬フォーラム』で取り上げた若手騎手も次々と鞭を置き、
もうあの取材の頃から騎手を続けている人は数えるほどになった。
そして今回、高崎から浦和に転戦して活躍していた水野貴史騎手もこれで鞭を置くことになる。
時代の流れとはいえ寂しいものがあるが、
最終1日前の2004年12月30日に高崎競馬へ出かけたし、
南関東でも水野貴史騎手の活躍が見れた。今後は調教師として頑張ってほしい。


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