いじわるじいさんの死

故郷の両親から電話があり、近所のじいさんが亡くなったと聞いた。
名は伏せるが、僕の田舎では有名ないじわるじいさんだった。
まあ、どの田舎にもいるだろうが、自分の固定観念を振りかざす、
道徳じじい・ばばあというのは子どもたちの天敵である。
これは、マナーの知らない子どもを叱る駄菓子屋のばあさんとは違い、
とにかく自分の孫以外は、子どもを毛嫌いするタイプの頑固者である。
僕と脇谷英康たちは近くの大木に登ってよく遊んだ。
自然が少ない環境ながらも自然と親しむ野生児だったのだ。
脇谷英康が発見したので、この樹は「脇ヶ原」と名づけられていたものだ。
小学5年生のとき、僕らが樹に階段をつけようとしていたとき、
このじじいは「樹にも命があるのだからそういうことをしてはいけない」と、
道徳を振りかざした。まあ、そのときは僕らももっともと思ったので引き下がったが、
後日、このじじいは僕らの遊び場である大木の枝を切ってしまったのだ。
別に庭師でも何でもなく、その土地の所有者でもないくそじじいが、
遊びに使っていた大木の枝を子どもに遊ばせないように切ってしまったのだ。
「樹にも命があるといいながら樹を切ってもいいのか」
脇谷英康は激怒した。そりゃそうだろう。子どもは正直だ。
それを大人の身勝手な理論で子どもを押さえつけようとしても無理だ。
いくら子どもでも齢が上だからという理由だけで、
間違った行いを納得するわけにはいかない。
大人だって間違ったことをすれば、子どもに謝るべきなのだ。
それでも僕らはこの樹に登って遊び続けた。
そして僕らが中学になって樹に登らなくなったあとも、
小さい子どもたちに木登りが受け継がれていったのである。
まあ、このじいさん、この樹を切った罪を悔やんで亡くなったとは思えないが、
としたら樹のタタリと思って、あの世へ旅立ってもらいたい。


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