失われた名鉄バス名犬線の路線

shugoro2009-02-10

昨日のバスの話の続きではないが、ほんの少し前の出来事なのに、
史料から抹殺されてしまうものは多々ある。
名鉄バスセンターから味美を経由して小牧へ至った名鉄バス名犬線。
小牧市内なら小牧〜三和通〜桜井〜北外山〜南外山〜航空自衛隊前〜春日寺とあり、
上飯田あたりまではなんとか分かるものの、もはや全バス停を記録することは
困難になってしまった。現在の名古屋市バスの経路と違う気もするからだ。
以前にも書いたが、小学生の頃までは名鉄小牧線よりバス利用のほうが圧倒的に多かった。
今思えばなぜ南外山の実家から間内駅までの距離が遠いと思ったのかわからないが、
南外山のバス停は実家の最寄であったのだ。
古い記憶を辿れば名古屋方面のバス停の近くに商店があったし、
バスの切符を委託販売していたタバコ屋もあった。
もっとも両店とも幼稚園に入る前には閉店していたが。
反対に小牧方面のバス停はウチの田んぼのすぐ真上だった。
まだ自動車が一家に一台しか普及していない時代だったので、
小牧の母親の実家に行くときにもよく利用した。
ちょっとした冒険は昭和50年(1975)のとき、
子どもだけでこの実家に行ってしまったことがある。このときの運賃は子ども20円也。
また僕の地区ではバス通学は認められていなかったが、
1キロ歩くのがめんどくさくて脇谷英康とついバスで帰ってしまったこともあった。
冒頭のバス乗車券の硬券は昭和54年(1979)頃に購入したもの。
そのときはバスの切符を買ったのだが、たまたまバスの本数が全然なくて、
小牧から歩いて帰ってしまったのだ。すでに減便され始めていたのだろう。
日付も押していないので、また別の時に使おうと思っていながら、
結局、使わずになぜか手元に残ってしまった。
当時は小牧〜南外山のバス運賃は80円(子どもは半額の40円)だった。
それでも4年のうちにバス運賃は倍になっていた。
裏をみると名鉄観光サービスとなっており、
小牧のバスターミナルに券売所があって、みたらしの出店などもあって賑わっていた。
その頃から結構冒険好きだった僕は、脇谷英康や満男君などと、
名鉄バスを利用して小牧の最東にある大山廃寺へ行ったり、
名古屋市科学館のある白川公園までバスで行ったりしたものだ。
一度だけ帰りに黒川経由の小牧行に乗ってとんでもない目にあわされたこともあったが。
しかし、中学以降は電車のほうが安かったので電車利用が多くなり、
名鉄バスセンターから南外山へ帰ったのは数回に過ぎない。
このバスが名古屋市内をどう走っていたか、
全バス停をたどるのも困難になってしまっている。
古いバス時刻表などを探せば分かるのかもしれないが。
現在では名鉄小牧線ですら地下が多くなってしまったが、
地下鉄のような閉ざされた暗闇ではなく、
名古屋市内の町並みを見ながらのバス旅もオツなものだった。
2004年3月限りで廃止となってから、もう5年が経とうとしている。


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