朝三暮四のサルになるな!

税理士の先生にもらった月刊誌『フォーブス』(ぎょうせい)の
某有名脚本家のエッセイを読んで唖然とした。この内容を簡略すると、
「筆者の友人がイベントのプラチナチケット3枚を手に入れ、
筆者と友人の知り合いで一流会社の要職についている人と3人で見に行った。
帰りに食事となり、その友人が『割り勘にしましょ』と云ったので、
筆者が『チケットをプレゼントしてくれたのだからいい』と、
その一流会社の要職氏に同意を求めたところ、その某氏は自分の分だけを払って
早々と退散してしまった。ケチなオヤジとこきおろされている」
もちろん、エッセイなので個人的な観点から捉えたものであるが、
名前は出されていないとはいえ、このオヤジに同情した。
たしかにセコイ真似だったかもしれないが、
このオヤジが果たしてその地位に見合ったフトコロがあったのか分からない。
女房に財布を握られており、しかも子の学費などで家計を切り詰められていた
時期だったのかもしれない。誘いを断るのも悪いから付き合いで行ったのかもしれない。
なのに、「人付き合いの悪いケチなオヤジ」と酷評されてしまった。
別に筆者の友人と面識があっても、その筆者と面識はなく、
初対面での付き合いを警戒した合理的な行動と僕には映る。
筆者はその友人と会社要職氏との関係を知らないのだから……。
と書かせていただいたのは、忘年会などで飲む機会が多くはなるものの、
その付き合いを断ったからって、必ずしも世間を狭くするとか、
人付き合いが悪いとか、そんなことは絶対ないからである。
同僚と飲むのは楽しいが、無理な上司との付き合いでは肩が凝るし、
しかもおごりでなく割り勘、とくにメリットもない不毛な飲み会であれば、
お金も時間ももったいない。現代の若者は極めて合理的である。
むしろもっとタチの悪い話をしてあげよう。
昔、某編プロに勤めていたとき、低報酬であったが食事を毎回ご馳走になっていた。
最初は気前のいい社長と思った。でも、仕事を続けるにつれ、
若手たちをこき使い、自分は昼に出勤して夕方相撲見て、
あとは飯をおごって若手に残業させてさっさと帰るようになった。
本当に予算がなくて低報酬、社長も遅くまで残業なら僕らも納得しただろうが、
毎回飯をおごっている社長のフトコロを見ても絶対おかしい。
それに毎月の月刊誌の編集費は分かっているので、
僕らはすぐに社長の搾取を見破ったわけだ。
青木雄二の漫画にも似たような件がある。某会社に勤めていたとき、
社長が納期もあって社員にサービス残業を要求した。
「その代わりメシは好きなもん頼んでいいぞ」と社長は云った。
朝三暮四のサルである他の社員は喜んだが、青木氏は違った。
「メシは自分のカネで食べますから、代わりに残業代払ってください」
会社の中の付き合いでは、和を乱す浮いた存在だったかもしれない。
しかし、それは極めて合理的で賢い選択だと思う。
僕も付き合いもあっていろいろなところに顔を出す機会は多い。
だが、名刺交換をしてもそれっきりで終わってしまうことなど日常茶飯事。
逆にその場で初対面なのに妙に馴れ馴れしくしてくる奴がいれば、
利用しようとか下心があると疑ってかかったほうがよいだろう。
大学のゼミでテスト前だけ出席して、
最前列にいる見知らぬ輩にノートを借りようとするようなものだ。
ま、これはバブル期の御伽噺だ。
でも、未だに出版界にはこの風習が残っており、
飲み代をおごることにかこつけて、日給2000円にもならないグロスの低報酬で、
働かせようとする耄碌じじいがいるのである。
予算がなくて本当に支払えない、せめてものご厚意で
自分のフトコロからおごると云うなら納得もしよう。
だがそうではなく、結局、飲み代やめしをおごる(しかも経費)という
小手先で報酬をごまかそうとする性根が腐っているのだ。
朝三暮四のサルたちは朝に三つ、夜に四つのドングリの餌に不満を漏らすと、
飼主は朝に四つ、夜に三つのドングリを与えて不満を鎮めた。
目先の違いにとらわれて、全体のことに気づかないおサルさんが、
結局はいいようにこき使われて、最後は人間不信に陥ってしまうのである。
僕も先日付き合いのあった某氏を斬った。
よく飲みに行ったものだが、話題は毎回同じ他人の悪口ばかりで不毛だし、
出費もバカにならない。しかも公私混同で締め切りを平気で破るくせに、
私情で報酬の前払いや借金を要求してきたので斬ったのだ。
酒は付き合いの場とはいうが、こういう公私混同してくるしょうもない輩もいる。
毎回話題が同じで進歩がなく、常連客をなくしていった某ラーメン屋の
酔っ払いオヤジのように無条件で「年上を敬え」なんて考えない。
麒麟も老いれば」というが、過去にいくら実績があっても、
耄碌すれば救いようのない老いぼれもいるものだ。
仮にそこで10万、20万貸したところでもう救えまい
貸してしまえばクセになって、我が師のように気が付けば300万以上となってしまう。
我が師は裕福なのでそれもできたが、貧乏な僕にはそれもできない。
しょせんおごるという行為は、フトコロによるご厚意の範疇に過ぎないのである。
だから、ない袖をあるように見せかける見栄ははりたくないものだ。


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