ラムタラ売却

本日の毎日新聞のニュースで、96年に国内史上最高3000万ドル(約33億円)で購入し、
総額約46億円のシンジケートが組まれたことで知られるラムタラ(牡14)が
英国に24万ドル(約2750万円)で売却されることになりました。1戦1勝で
エプソムダービーを制し、キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドS
凱旋門賞と4戦4勝で引退し、「神の馬」と唄われた名馬でしたが、
産駒は日本の軽い芝には合わなかったようです。
中央の平場重賞を制したのはメイショウラムセス富士S)のみ。
種付け料も当初1500万円だったのが20万まで下がり、
当初112頭の種付け頭数も31頭まで落ち込んでいたようです。
まあ、ヨーロッパ系の種牡馬は日本でなかなか大成しないのですが、
当時は日高の生産者が社台に対抗する切り札として考えていたようで、
現在の社台の独占状態をみると、この賭けは裏目に出たようです。
今回の売却も叩き売りといった感じがないわけでもありません。
ラムタラとの出会いは競馬および出版界がまだバブルだった頃の98年、
『「あの馬は今?」ガイド98−99』(アスペクト)の取材で日高アロースタッドにいき、
メインは今は亡きタマモクロスの取材でしたが、
ラムタラも撮影させていただき大変感動したものです。
そのときの取材では、スタッフは普通2〜3頭の種牡馬を受け持つが、
さすがにラムタラだけは専門の担当がついていると聞きました。
そういえば元グリーンチャンネル競馬キャスター・清水祥子さんの著書
『さようならクロカミ』(アスペクト)でも、「ラムタラ担当の佐藤さんの胃が心配」
というエッセイがあり、編集しているときに「やはり」とうなづいたものです。
あと、僕が取材したときはラムタラが当スタッドに到着したとき、
晴天が急に曇りスコールが降ったという天変地異の話も聞きました。
しかし、繁殖牝馬に恵まれたにもかかわらず、残念ながら産駒たちには、
この奇跡は伝わらなかったようです。まあオグリキャップミホノブルボン
ビワハヤヒデしかり、あれだけの名馬でも中央で重賞勝ち馬が出ない現実をみると、
血統背景よりも突然変異だったのかもしれません。
ラムタラもバブルの犠牲者とでも云うべきでしょう。
でも、案外海外に出るとザグレブのように産駒が走ったりするので、
週刊Gallop』のPOGではラムタラ産駒を1頭指名するのも手かもしれません。


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