間内駅増客運動4

原稿締め切りに追われ日記の更新が遅れて申し訳ない。
「間内駅増客運動」も南外山の紹介に至り佳境に入ってきた。
本日まず紹介するのは妙楽寺と隣接する南外山八幡社である。
緑の少ない小牧市でもこの一帯は鎮守の杜といわれる木々が生い茂る。
この八幡社も『尾張誌』によると「妙楽寺を創建した日澄が宗門守護のために歓請した」
と伝わり、鎌倉後期まで遡ることができる。
だが、境内の燈籠などは江戸末期以降のもので当時の創建の示すものはなく、
妙楽寺が江戸中期に火災で焼失したのと関係があるかもしれない。
  
とはいえ、古くから村人の祭事や初詣で賑わった神社だけあって、
史料的な価値の高い史跡も多い。まずは写真左の鳥居だが「わらざし」と称する様式で
宮島の厳島神社と同型のもの。神仏習合型の神社にみられ市内の神社では大変珍しい。
材質は石材で江戸期に建てられたものと推定されている。
写真中央は八幡社の拝殿でかつては本殿奥に古い獅子屋台が保管されていた。
白木造で無数の彫刻が施され江戸末期以前のものと推定される。
明治期に獅子神楽囃子は全盛をきわめたが、屋台をかつぐ力士が去ると
現在の小型の獅子屋台に替えられたという。
写真右神楽堂は2006年1月現在、隣に新しい堂が建立されていた。
元は本殿の前にあり、祭礼の際には2対の太鼓が叩かれたという。
保管されている太鼓は享保12年(1727)、天明7年(1787)の年代を記す銘がある。
また以前は神楽堂四方の軒に打ち付けられた絵馬が50枚近くあり、
江戸期に奉納されたものもあったが現在はなく、
保管されているのか盗まれたのかは定かでない。
物置と化した古い神楽堂も姿を消す日が近いのかもしれない。
なお、境内には南外山城跡の碑があるが、これについては長くなるので明日に書く。
八幡社参道入口から西へ100mも歩くともうひとつの寺院である妙蔵寺(写真左)に着く。
 
こちらも日蓮宗の寺で妙楽寺と同時期に日澄聖人が創建したという。
詳しいWEBもあるのでこちらを参照されたい。http://www.myouzouji.net/
僕が小学生の頃に通った書道塾は最初この敷地内にあり、
まさに寺小屋といった感じであった。毎年1月下旬〜2月上旬にかけて
寒中題目修行が行われ、夜に白い頭巾をかぶって太鼓を叩きながら区内を歩く。
妙蔵寺からさらに西へ200mほど行った県道名古屋犬山線(旧国道41号線)と
県道南外山稲沢線が分岐する交差点には南外山天神社(写真右)がある。
母校小牧南小学校の歴史によれば、起源は明治6年(1873)にこの天神社付近に
応時学校として開設されたのが始まりで、明治11年までは当地にあった。
5年余りの短期間であったが、小牧南小学校発祥の地でもあるのだ。
ここにあったら僕の通学も近くて便利だったろうに…。
現在は公園となっている中央に本殿があったというが、
伊勢湾台風で破壊され、再建には至らなかった。それでも区民の寄付によって
小さな社殿が建てられている。また公園東側の小山には、
郷土の篤実家である鈴木勇右衛門(1836〜1914)の頌徳碑が建つ。
現在は公園内に公民館もできてずいぶん狭くなってしまったが、
奥の大木脇には泉が湧出していたという(今はない)。
この天神社の西側に名古屋と犬山を結んだ稲置街道の旧道が残っている。
こちらを北へ歩くと弥生時代の銅鐸が出土した外山神社に着く。
本日はここまでにして明日に続く。


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