間内駅増客運動1

仕事に追われる日々。原稿を書くのは遅いくせに日記のほうはホイホイ進む。
さて、桃花台新交通の廃止が決定的になった。関心ない云々より沿線の開発が行えない
行政の怠慢と放漫経営の慣れの果てであろう。もっと悪条件ながらも乗客増に努力する
東海交通事業を見習ってくれ。大体あのWEBはやる気あんのかといいたい。
我が故郷の付近を走る小牧線もようやく上飯田連絡線が開通し、
乗客増が増えつつあるものの、最寄の間内駅は1日平均乗降客数が1122人。
小牧線内ワースト1の乗降客数になってしまった(2003年度・愛知県発表)。
僕が通学していたときは有人駅で、そこそこの乗客があったと思うが、
90年代に無人化。その後も駅員が切符の回収を行っていた時期もあったが、
現在は駅集中管理システムによって無人駅ながら券売機や自動改札がある。
こんな田舎の駅にはもったいない感じで、セキュリティは大丈夫かといいたいが、
それにしても乗客数が昔の半分程度になって、
最初から無人駅だった牛山や小牧原にも負けるとは……。
乗客が少なくて廃駅ってことにならないと思うが、せっかくの設備投資がもったいない。
そこで増客PRのため脩五郎が特別に周辺の観光案内をしてあげることにしよう。
 
まず間内駅東側に見える立派な戦国武者の銅像
北近江の大名で本年度のNHK大河ドラマ功名が辻』にも登場する浅井長政公だ。
「あさい」ではなく「あざい」と読む。
浅井長政といえば信長の妹お市を娶って同盟を結んだが、
その後、信長が朝倉と対立するに至って、信長を裏切って最後は滅ぼされた武将。
で、なんで滋賀県出身の長政の銅像があるかといえば、
長政の子孫がここに移り住んだことに由来する。
長政といえばお市との間に茶々・初・お江与の3人娘をもうけ
娘はそれぞれ豊臣秀吉(側室)・京極高次徳川秀忠に嫁いでいる。
この際に嫡子の万福丸は憐れ串刺しで殺されてしまったが、
側室八重の方が産んだ七郎は美濃に逃れ、その後、当地に移り住んだ。
そして大正2年(1913)まで代々居住したという。
以前は大木が茂り、塚のような小山があったが、
その後整備されて昭和57年(1982)に銅像が建立された。
浅井長政の像はJR北陸本線河毛駅前(右)にもあるが、
像としてはこちらのほうが立派。全国の長政ファン必見だ。
 
本日はここまでにして明日に続く。


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