サンエムキング引退

本日の「地方競馬中心の情報サイト」で岩手・及川厩舎にいた
サンエムキング(牡14・栗毛)が1月31日付で
地方競馬の登録を抹消したことが明らかになりました。
同馬に思い入れがあるのは、小島貞博騎手(現・調教師)が手綱をとっていた
こともさながら、『「あの馬は今?」ガイド2002-2003』(流星社刊)で、
同馬を取材・執筆したことがあったからです。
その頃は高崎競馬の岡田英治厩舎に所属していて、
中央から移籍したきた同馬を預かることになった2000年に開業したばかり。
すぐに重賞3連勝するなど、高崎での重賞タイトルをとりまくり、
厩舎にとってありがたい馬であったことはいうまでもありません。
取材した2002年5月、サンエムキングは11歳になっていましたが、
年齢的な衰えはまったくなく、栗毛のきれいな馬体をしておりました。
馬がレースがあることを知っていて、レース前になると神経が高ぶってくるけど、
レースが終わると3日で疲れがとれてしまうという先生の話を聞いて、
本当に賢い馬だなと思いました。
まさかその時点で高崎競馬が廃止されることなど露ほども思っていませんでしたが。
すでに岡田先生も勇退され、競馬の不況と時代の流れを感じずにはいられません。
思えば高崎とは縁深く、その前年には一倉厩舎の厩務員さんが営む
ホースパラダイス群馬で引退馬の取材をしたこともありました。
その後、高崎競馬の最終前日の2004年12月30日に競馬場へ行き、
翌日の最後の重賞となる高崎大賞典に同馬がエントリーされていたのを知りました。
すでに高橋俊之厩舎へ転厩していたのですが、
勝っても負けても最後を飾りたかったのでしょう。
しかし、翌日は大雪でレースが途中で打ち切りとなり代替競馬も行われないまま、
尻切れトンボの終わり方(中津・新潟もそうだった)をしたのです。
競馬がなくなった翌年の中央の根岸Sに明け13歳で出走してきたときは涙が出ました。
結果はのちのGI馬となるメイショウボーラーから4.4秒離された大差負けでしたが、
チャレンジすることの大切さを教えてくれたものです。
その後は岩手に移籍しましたが往年の力はさすがに戻らず、
Cクラスで6戦して未勝利で、昨年10月30日のレース(8着)が最後になったようです。
とにかくここまで走ってきたのだからお疲れ様といいたいです。

サンエムキング
1992年生・牡・栗毛
ナグルスキー 母サンエムスピード 母の父スティールハート
中央81戦8勝 地方75戦11勝 通算成績156戦19勝
96・97年師走S、98年竹秋S
00年高崎記念、太平記記念、スプリンターズ賞、東国賞
02年織姫賞、開設記念


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