陳舜臣さん逝く

『秘本三国志』『曹操』などで中国歴史小説で知られる
直木賞作家・陳舜臣さんの訃報がありました。以下がそのニュース。


直木賞作家・陳舜臣さん死去 「阿片戦争」など中国歴史小説に功績】
阿片戦争」「秘本三国志」「小説十八史略」などの中国歴史小説で知られる直木賞作家で、
日本芸術院会員の陳舜臣(ちん・しゅんしん)氏が21日午前5時46分、
老衰のため神戸市内の病院で死去した。90歳。神戸市出身。自宅は神戸市東灘区。
通夜、葬儀・告別式は近親者で行う。後日、お別れ会を開く予定。喪主は長男立人(リーレン)氏。
 1924年、台湾出身の貿易商の次男として、現在の神戸市中央区に生まれた。
神戸市立第一神港商業学校(現・市立神港高校)から、
大阪外国語学校(現・大阪大外国語学部)印度語科へ。
卒業後、同校の西南アジア語研究所助手、英語教師を経て、
57年ごろ家業を手伝いながら小説を書き始めた。
 61年、推理小説「枯草の根」で江戸川乱歩賞を受けて文壇デビュー。その後歴史小説に転じ、
67年に「阿片戦争」3部作を完成させた。69年「青玉獅子香炉」で直木賞
70年には本紙連載小説「孔雀の道」と「玉嶺よふたたび」で日本推理作家協会賞を受賞した。
 90年に日本国籍を取得。93年のNHK大河ドラマ琉球の風」では原作を手掛けた。
94年に脳出血で倒れ、療養中の95年、阪神・淡路大震災に遭った。
しかし以後も「チンギス・ハーンの一族」「曹操」「中国美人伝」などを
相次ぎ発表。口述筆記で晩年まで創作を続けた。
 地元文壇の顔としても長く親しまれ、69年に兵庫県国際文化賞、74年に神戸市文化賞、
84年に神戸新聞平和賞を受賞。ほかに91年に吉川英治文学賞
95年に日本芸術院賞井上靖文化賞など多数。
98年には勲三等瑞宝章を受けた。2010年10月に始まった本紙連載「わが心の自叙伝」は
11年6月に中断し、再開は果たせなかった神戸新聞NEXT 1月21日(水)13時56分配信)


陳先生といえばそりゃ中国歴史界の中では偉大な作家です。
情報によれば後漢の陳寔の末裔で魏の陳羣、陳泰らも祖先にあたるというすごい系譜でした。
ただ、僕自身がノンフィクション派で『三国志演義』以外の小説にあまりのめりこめない性質なので
実際に読んだことのある著作は『秘本三国志』だけでした。
明らかな創作とわかると拒絶反応を起こしてしまうのは
史実のみを淡々と編纂する村野鎮守だからかもしれません。
それでも陳先生といえばもう雲の上の存在ですし、
『秘本三国志』には陳氏の見解が入っていながらも納得する内容も結構ありました。
例えばあの街亭で馬謖諸葛亮の命を無視して山上に陣取った背景。
一般には馬謖は才能を鼻にかけているための自爆とされていますが、
この小説では「思えば馬謖は奇策の連続であったが、それでも兄の馬良が「白眉」と
称されるように一番優秀の評価は変わらなかった」
兄を超えたいがための行動――この解釈はものすごく斬新でした。
実際にまったく舞台には登場しない兄の馬良はたしかに諸葛亮と深い親交があったようで
馬謖諸葛亮に才能を認めてもらいたいがための行動との解釈だと
鼻持ちならない馬謖がむしろいじらしく思えてしまうのです。
そういう意味ではもっと陳先生の著作を読まなくてはと思うのですが、
これまで中国の歴史で活躍された方だけに、その死が惜しまれます。ご冥福をお祈りいたします。


本日の木之前葵ちゃん
4Rハートオブミニー6着(7番人気)


一鞍入魂でしたが、さすがにこの対戦メンバーでは奈何ともしがたかったようです。
笠松開催はあと明後日のモルフェメアリーで、ここも一鞍入魂。
メンバーからいってそこそこ人気になりそうな感じなので、
ぜひとも勝利へと導いてほしいものです。


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