最初で最後(?)の著『三国志武将事典』

shugoro2014-12-08

すでに3週間以上前に校了し、見本誌もすでに届いていたが、昨日7日に
ようやく冒頭写真三国志武将事典』(新紀元社が上梓のはこびとなった。
構想から刊行にこぎつけるまで5年の歳月を要している。
でも、出版界に身を投じてから苦節20年と云ったほうがいいかもしれない。
おそらく最初で最後(?)の著作になる可能性が高いからである。
自分の名で検索をかければ、いくつかこれまでの作品は出てくるが、
あくまでそれは監修であったり、共著であったり、であったりと
名刺代わりとなる単独の著作は20年を経て、まだ1冊もなかったわけである。
基本は編集を主体としているし、雑誌には何度も記名原稿を書いてはいるが。

今回の著作は15年前に監修で出した
三国志人物事典』(写真左)リベンジ番といってよいかもしれない。
この本の構想があったのは97年で、99年1月に刊行しているから
ほぼ2年足らずで書いているが、これはかなりの分担執筆になっている。
あの頃は一定期間の平日に神谷町へ出張校正に行っており、執筆に専念できなかった事情もあったが、
監修として他の執筆者のリライトにも相当苦労させられた。
それよりも恥ずべきことは、このとき版元から介入された編プロがとんちんかんな編集をしてくれ、
校閲がしたいのか、素読みがしたいのか、どれも中途半端なわけわからんことばかりやってくれたので、
そのくだらん疑問解決に時間をとられ、まともに校正・校閲する時間がなくなってしまった。
刊行すれば恐ろしい誤植だらけになってしまうことは、最初から危惧していたわけである。
案の定、初版はとんでもない誤植だらけの本になってしまい、
なんだかマチカネフクキタル菊花賞制覇のような不完全燃焼の結末になってしまった。
その後、別のプロの編集者に自腹で校閲をお願いしたばかりか
2刷では要望の赤字が治っておらず、3刷目で修正費半分負担してようやくなんとか体裁を整えた次第。
それでも今回の著作にあたっても4刷の時点でもまだ誤植が見つかってしまうし、
元本となる『正史』の翻訳や『演義』の人物事典などにも
誤植がある(今回の執筆でボロボロになって買い換えた)
『正史』の陳寿裴松之、『演義』の羅貫中でも
明らかに文字が不統一であったり間違っている箇所が散見され、
やはり『三国志』の編纂はこの誤植をいかに少なくするかで神経をすり減らすものなのである。
これは漢字の多い中国史全般についていえることでもあるが。
その後、共著で2005年に刊行したのが史記・春秋戦国人物事典』(写真右)だが、
これも刊行までに5年かかっている。というのはやはりこの書籍の執筆というのは、
原稿料に換算すると、ものすごく安い単価となってしまい、
このときも独りでは書き切れないため分担執筆にしたのだが、
とても一流の著者に依頼できるような単価でないため、
国史を知らない素人にも書かせて余計に収拾がつかなくなり、
さらにリライトを名乗り出た編集者も素人だったため、かえって泥沼に陥ってしまった次第。
最終的にはもう一人の著者と分担での執筆で、ようやく刊行にこぎつけたわけだが、
半々ではなく6:4の割合で僕が執筆しており、とくに時代背景の流れなどは、
書評でも評価されているのは嬉しい限りである。
また、あえて書名は出さないが、一度某版元で制作した文庫では悲しい思いをした。
正味1か月足らずで1冊を執筆するわけだから当然分担執筆となり、
こういう場合は「○○○研究会編」などするのが一般的なのだが、
僕の反対にもかかわらず、版元のごり押しで編という形で自分の名前を使われてしまったのである。
そんな短期間で作った本がクオリティが高いわけもなく、単価もかなり高い。
しかも昔はベテランだったという著者に頼んだらウィキ写しおぼちゃんで、これもリライトに泣いた。
結局、この本は売れるわけもなく、その後の営業の数字にも悪影響をおよぼす結果になってしまった。
ということで本題の初の単独著書の刊行に至ったわけである。

三国志武将事典』(新紀元社
472ページ/2916円(税込) 購入はこちら


これもやはり5年の歳月を費やした。
前回は500人だった人物を『正史』に伝(付伝も含む)のある人物を
網羅したこともあって倍以上の1085人
しかも最初に仕えた主君での分類ですから余計判別も大変なわけで
武将事典だから武将だけでもよかったが、
前回同様、他に異民族や女性、方士、馬3頭まですべて紹介している。
やはり筆が進まなかったのは『後漢書』を当たらなければならかった後漢の399人であった。
前回もそうであったが、『後漢書』『晋書』には邦訳が存在せず(『後漢書』の邦訳は高すぎて手が出ず)
さらに中国本土での研究書『三国志集解』などもあるので、編纂は余計困難を極めた。
しかし、生活のうえでは、この執筆だけに専念もできず、他に短期での仕事も入ってくるし
鉄道などの長期取材などもあるから、なかなか思うように筆が進まない状況が続く。
もう本当、自分自身も分担執筆にしようとか、断念しようとか何度考えたかわからないほどである。
しかし、納得のいかない原稿があがってきたらリライトも必要になり、余計利益率も下がってしまう。
版元のほうもしびれを切らし、分担執筆の著者まで提案されたが
それは僕も反対し、後漢が終わった時点で毎月80人を提出するということで納得してもらい、
この毎月80人提出というのも1年近くかかっている。
しかもこれに並行して余計な単価の低い出張校正にとられたせいもあって
何度も足止めされたが、もうこういう請負仕事では持ち出しになる一方であった。
結論から云えば名刺代わりに執筆した5年の歳月という
代償(ジェット)はあまりにも大きかったわけである。
まさに器用貧乏というべきであろう。
と同時に並行していたのは郡上の古民家購入問題で
これも仮オープンにこぎつけるまでにやはり約1年かかっており、
古民家の前金を払った時点でほぼ破産状態になってしまった。
これについてはカメライター(カメラマン&ライター)を名乗るかさこ氏
興味深い記事を書いていたので、ここにリンクを貼っておく。
「フリーのクリエイターがジリ貧になり食えなくなる4つのパターンとその対策」
すべての内容に賛同しているわけではないが、納得のいくことも結構書いている。
まさにこの単独著書へのこだわりがあってジリ貧になってしまったのは身につまされる思いだ。
ただ短期間、低コストとして割り切った仕事をしても
それが本の定価に反映せず、この値段がいっこうに下がらないから
クオリティが落ちて余計に本が売れなくなっているのは事実であろう。
実際、自分が読者の立場としたら買う価値のある本はものすごく減った。
本書も部数を絞って定価2916円(税込)
紙質がよいのか472ページにしては柄(背表紙)の厚みは出ていない。
1000円程度の本ならまだ買ってくれと周囲にお願いできるが
この単価ではさすがに買ってくれとは云えない。値段相応の内容にしたつもりではあるものの、
それは僕が決めることでなく、読者の判断に委ねたい。
あとがきにも書いているが、人物の人数に重点を置いているので
諸葛亮関羽張飛などの有名武将でも1ページしか割けず、
4分の1のレイアウトの人物などは簡潔にまとめているので、無味乾燥になっている感は否めない。
初校チェックができなかった索引も読み(ルビ)が入っていないのは残念で、
おそらく重版がかかっても、ここは修正がきかないのではないか?
イラストや写真も入っておらず、文字だけでまさに書いたというより編纂したと云ったほうが正しく
やはりその意味でも陳寿ならぬ村野鎮守(珍獣)と云うべきであろう。
もちろん、今回は前回のひどい編プロは介入していない代わりに
先輩筋にあたるプロの編集者に文章の素読み・修正をしてもらった。
三国志』を知らない人が読んでも極力わかりやすくしたい配慮からだが
それでも専門用語が多く、欄外の注釈でも補足仕切れなかった部分はある。
著者が出版のステータスとなる時代はすでに終わった
そのことを悟りつつも執筆に挑んでしまったのは、前回の反省に対する最後の意地であったかもしれない。

最後に固いことばかり書いてしまったが、99年に刊行した三国志人物事典』の挿絵が
真・恋姫†無双のキャラクターとニコニコ動画で比較されていたのは笑ってしまった。
正直、この挿絵はあまり評判がよくなかったが。
恋姫†無双については以前にも書いているが、倒錯の世界になり『三国志』も変わった。
ここに紹介して締めくくりとしたい(鎮守)


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