田嶋翔騎手が引退

明け方まで仕事をしていたため、寝坊して出遅れ、
修理した電話子機の受取がてら、東急世田谷沿線取材する計画を断念しました。
午後からは出張校正もあったからです。現在は予備の子機を使っているので、
それほど生活に支障をきたすわけでもないというのと、
わざわざ経堂まで行くのに、ついで取材撮影しないと勿体無いという悪い癖。
とはいいつつも、写真整理が全然片付いていないので、
明日からの帰省でさらに取材写真が増えてしまうのを恐れたというのもあります。


そんな話題はさておき、あの故・小島貞博調教師の娘婿である
田嶋翔騎手(栗東・フリー)が4月20日(金)付で引退し、
今後は作田誠二厩舎で調教助手に転身するそうです。
1月23日の小島先生の悲報によって、一番気がかりになっていたのは、
この田嶋翔騎手の行く末でした。なんせ、あの悲報以来、
騎乗したのは1月28日(土)障害レース1鞍のみ(11着)。
調教では乗っていたようですが、これ以降まったく騎乗がないのを見れば、
騎手生活を続けていけるわけもなく、引退に踏み切るしかなかったのでしょう。
貞先生の死によって後ろ盾を失ってしまった田嶋騎手が気の毒でなりません。
しかもラストランにも馬がもらえず、金曜に早々と引退というのも悲しすぎます。
田嶋騎手といえば貞先生の長女・久子さんを娶った娘婿です。
久子さんはミホノブルボンの取材のときにもよく登場しましたね。
あの頃はチャコちゃんとも呼ばれ、まだ子どもでしたが、
のちに福永騎手のバレットもつとめ、アイドル顔負けの看板娘に成長しただけに、
田嶋騎手を羨ましいと思ったファンも多かったことでしょう。
そして田嶋騎手も美浦から栗東の小島貞厩舎に移籍し、
貞先生も孫の顔が見れて幸せそうな記事が出たりもしました。
しかし、例の内部事情によって、田嶋騎手も厩舎から離れてフリーとなり、
田嶋騎手の騎乗機会が減ってしまったのも、
オーナーの意向で貞先生も苦渋の決断をしていると感じました。
先日も書きましたが、南井・加藤といった一流ジョッキーの息子ですら、
自厩舎の馬に乗せてもらえないほど、オーナーの発言権が強くなってしまったのです。
田嶋騎手は決して上手いというわけではありませんが、
とりたてて下手というほどでもありません。
近走では複勝で大穴を開けていた反面、人気馬に乗る機会が減ってしまったのも事実。
たしかに人気馬で結果を残せなかったことも騎乗が減った遠因ともいえるのですが、
これは田嶋騎手に限ったことでもないでしょうに……。
昨年は落馬からの復帰が遅れたこともあって、とうとう未勝利に終わってしまいましたが、
本年も9回騎乗して2着1回、3着1回、4着1回で、
未勝利脱出も目前と思われていた矢先の悲報。
それにしても2005年以降騎乗していなかった障害に、
6年ぶりに復帰して騎乗することになったのも、
騎乗機会を増やすための手段だったのでしょう。
貞先生のときは戸山先生が亡くなってやはり騎乗機会がなくなってしまいましたが、
このときは兄弟子の鶴留師によって助けられ、オークス・ダービーを制しました。
しかし、現在ではこういった救いの手を差し伸べてくれる調教師も皆無なのでしょう。
通算成績は2048戦104勝、2着128回、3着127回、
重賞は05年にテイエムチュラサンで制したアイビスSDGIII)。
せめてラストランぐらいはメイショウ、テイエムの馬主さんあたり
乗せてやってほしかったけど、これも時代の流れなんでしょうか……寂しい限りです。
その意味でフミノ冠号で知られる谷二オーナーは、
もう馬主歴40年にもなるそうですが、騎乗に関しては一切口を出さないときいています。
それが太宰=フミノイマージン、長谷川=フミノヤマビコに固定されているのでしょう。
正直、太宰騎手の騎乗に関しては不満が残ることも多いのですが、
それでも乗せてもらっているのだから、ぜひフミノイマージンでGIを戴冠し、
オーナーへの恩返しをしてほしいと思います。
田嶋騎手は本当に運がなかったとしかいいようがありませんが、
ぜひ何年かかってもいいから、調教師試験に合格し、貞先生の遺志を継いでほしいものです。


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