紀州鉄道と紀勢本線

shugoro2012-01-02

ようやく5日に入って3日分の約800枚の写真整理が終わりました。
週末に入る前に残り1日分の180枚もなんとか片付けたいと思います。
それでは青春185日目の行程から。


和歌山606→708御坊710→(紀州鉄道)→718西御坊744→(紀州鉄道)→
748学門……西御坊846→(紀州鉄道)→854御坊958→1041紀伊田辺1053→
1351新宮1511→1922(1930)亀山1955→2021四日市2029(2034)→
(快速みえ26号)→2103名古屋2115→2135岐阜

今回の目的は2011年9月3日の台風12号の災害にあいながらも、
12月3日に最後の新宮〜紀伊勝浦間が復旧した紀勢本線乗車でしたが、
御坊から分岐する紀州鉄道(写真左)も未乗だったため、
こちらも乗りつぶすことにしたのです。
紀州鉄道は御坊〜西御坊まで2.7キロのミニ鉄道ですが、
意外にJRとの接続はよく、とりあえず改札を出ずにそのまま終着の西御坊へ。
西御坊では少し時間があったので廃線跡を歩き、
かつての終着だった日高川駅跡も撮影。西御坊で折り返すのですが、
紀伊御坊が本社のある駅のため、学門で途中下車し西御坊へと歩き、
ここでスタンプやグッズを買い求めました。
さらに時間があったため、西御坊まで歩き全駅の撮影終了。
それにしてもこの鉄道が存続しているのが不思議なのですが、
逆に短い線であるゆえに赤字額がおさえられるのでしょうか。
帰りの車両は結構乗客があり、御坊の接続もよすぎるため1本おとして、
御坊のスタンプを押したり、駅弁を買ったりしました。
御坊から紀伊田辺で乗り継ぎ、新宮までは約3時間。
しかし、105系(写真中央)ロングシートのため、
冒頭写真のような絶景をみるのも身をよじってみていました。
この先の新宮からのキハ11(写真右)でも、ボックス席が確保できず、
ロングシート部分で車窓を見ざるを得なかったわけですが。

新宮では約1時間あったので、レンタサイクルで徐福公園(写真左)
浮島の森・熊野速玉大社(写真中央)・新宮城跡をめぐりました。
それにしても昨日の智恩寺でもそうですが、初詣の参詣客が多すぎて、
やはり正月は寺社の撮影は不向きでした。
新宮から亀山までも約4時間の普通列車の旅。紀伊半島の広さが痛感できるのと同時に、
紀勢本線はダイヤの乱れがひどく、スタンプ押印予定だった串本・尾鷲などは押せませんでした。
紀勢本線の初乗車は昭和58年(1983)の夜行「はやたま」で、
まだこの頃は新宮以東がCTC化されておらず、各駅に駅員がいたのと、
タブレット交換や腕木信号機など、今思えば悔やまれるほどいい路線だったのです。
いまは無人となった木造駅舎にも往時の面影がしのばれますが、
なんか地域住民の公民館や施設などに転用できないものでしょうか。
いずれは高山本線のように鉄筋の簡易駅舎に建て替わる前に、
各駅の撮影をしておきたい衝動にかられました。
ダイヤが乱れたため、関西本線亀山〜関間の往復も諦め、
四日市で「快速みえ」に乗り換え名古屋へ先着。
名古屋からそのまま宿泊先の岐阜へ向かったわけですが、
岐阜駅前のライトアップされた金の信長像へ向かう
信長ゆめ階段(写真右)は電飾が圧巻でした。
宿は3件目で決めたニュー岐阜ホテルプラザ5000円也。
値段の割には部屋が広くてよかったです。このビルには漫画喫茶もあって、
もっと格安で一夜を過ごすことも可能だったわけですが。

グルメは朝食が御坊駅の和歌山ラーメン500円(写真左)
昼食が御坊駅弁の子安いなり寿し500円(写真中央)
夕食が新宮駅弁のさんま鮨630円(写真右)でした。
御坊駅は御坊あしべという調製元が立ち食いそばも営業しており、
以前の2004年にもさんま姿寿司を購入したことがありますが、
今も現役で頑張っているので、駅弁2つ購入して応援しました。
新宮のさんま鮨は「はやたま」到着時間から営業しており、
初めて食した関西風の薄いつゆのうどんを食し、
さんま鮨も購入したのですが、このときは300円程度だったと思います。
それが四半世紀で倍の値段になってしまうとは時代の移り変わりを感じさせます。
さすがに夕方食したさんま鮨だけでは腹がもたず、
ダイヤの乱れで5分以上停車した松阪駅で肉そばを車内持込で購入しておけばと後悔。
亀山駅前も正月休みで死んでおり、名古屋駅きしめんももう閉まっていたので、
岐阜駅で食事を探すことに。駅前はシャッター通りでゴーストタウン化していましたが、
ホテルのあった通りではそれなりに店も営業しており、
あら汁を無料で提供していた「ニュー長住」という居酒屋で、
ホッケや明宝ハムなどを食しました(つづく)


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