急行「きたぐに」も廃止へ

先月の11月18日寝台特急日本海」の廃止が発表され、
他の夜行「きたぐに」「あけぼの」の動向も気がかりでしたが、
本日、「日本海」とともに急行「きたぐにの廃止も発表されました。


【「日本海」と「きたぐに」廃止=来年3月、大阪発夜行列車−JRダイヤ改正


 JR各社は16日、2012年3月17日にダイヤを改正すると発表した。
改正に合わせ、大阪−青森を結ぶ寝台特急ブルートレイン)「日本海」と、
大阪−新潟間の夜行急行「きたぐに」が廃止される。
JRが発足した1987年に比べ、1列車当たりの平均乗客数が日本海は4分の1の134人、
きたぐには47%の125人まで減少。「新幹線、飛行機、夜行バスなど移動手段や、
格安ホテルが増えたのが大きく影響し、夜行列車としての使命は終了した」
JR東日本)と判断した。(2011/12/16-16:36/時事ドットコム


久しく乗車していませんが、寝台特急日本海」と違って、
急行「きたぐに」は学生時代の周遊券の旅でよく利用しました。
中国・四国方面へは上りを、東北方面では下りで出発し、
一度、富山で下車するはずが、寝過ごして高岡まで行ってしまい、
高岡の待合室で一泊し、立ち食いそばを食して帰った思い出もあります。
しかし、当時はまだネガフィルムの紙焼き時代。
宿泊に使った夜行列車はほとんど撮っていないんですね。
夜行がどんどん淘汰されながらも、周囲の評判では
きたぐには利用客が多い」と聞いており、ウィキでもそう書いてあるのですが、
要は会社間をまたぐ夜行はめんどくさいから廃止したいという魂胆が見え見えです。
実際、僕が乗ったときは自由席でしたが、結構乗っており、
座席の確保が困難だった記憶があります。
しかし、さすがに12系客車の大阪〜青森時代には乗ったことがなく、
北海道ワイド周遊券で行く場合はきたぐにを利用する」という
プランを立てて喜んでいた脇谷英康にとっては残念な結果に終わってしまいました。
昭和57年(1982)の上越新幹線開通時に特急「いなほ」と系統分離され、大阪〜新潟に短縮。
14系客車から583系電車に変わったのが昭和60年(1985)ですから、
これ以降の「きたぐに」ばかり利用し、ボックスの自由席では、
なかなか寝付けなかった記憶もあります。
電車寝台は一度も利用したことなかったけど、昔乗った「ゆうづる」の電車三段は、
身体の大きな僕にはさすがに辛かったです。
それでもやはり廃止になってしまうとなると、撮っておきたいもの。
恒例の正月乗車は只見線が一部区間運休のため、新潟方面にしようかな?
では、最後に今回はこの「きたぐに」を象徴するような
細川たかしさんの名曲北酒場でお別れしたいと思います。

≪備忘録≫
本日は四ツ谷飯田橋護国寺・上野・稲荷町と5件も打ち合わせがありました。
本来なら都区内パス730円で取材撮影も兼ねたかったのですが、
ほとんど徹夜明けになってしまって取材は断念し、Suica利用にしました。
途中で急な打ち合わせが入ったので、都区内パスのほうが安かったかなと思いましたが、
JRの合計運賃は650円で何とか救われました。
東京メトロも2往復640円でしたが、これも1日乗車券710円よりかは安かったです。
明日は大森打ち合わせで往復580円。都区内パスでどこか寄りたいな。


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