急行能登の思ひで

shugoro2010-03-12

本日は昼に近くのグラッチェガーデンズ東中野店で打ち合わせ。
ミックスグリルのランチにライス大盛、ドリンクバーでは明らかにカロリー過多。
ドリンクは極力、壮健美茶にしたけど、夕食は控えねば……。
それにしても本の印刷工程も無茶苦茶早くなっている。
月曜に出張校正して翌日校了だったものがもう見本誌あがってきたという。
明日にはウチにも文庫の見本誌が届くが、
あの龍馬本を43万部売った版元ですから、便乗して夢の印税生活を願いたい(あり得ない)


さて、本日が寝台特急北陸と急行能登の最終日ということで、
始発の上野駅では蜂の巣をつついたような大騒ぎになっているようだ。
さすがに葬式鉄要素を含むshugoroでも、あの混雑に行く熱意はなく、
さよなら記念の弁当も販売しているよーだが、今回はこっちもパス。
寝台特急北陸には結局、一度も乗れずじまいであったが、
急行能登のほうはいろいろと思ひで深い列車である。
僕が一時期富山にいた頃、就職活動で毎週上京したときに利用したのが、
この急行能登だった。あの頃は東京ミニ周遊券があって、
ミニでも往復の行程で急行自由席が利用できたので重宝したものだ。
あの頃は90年代初頭で14系客車の時代。今のような寝る鉄ではなかったので、
あまり眠りついた記憶はないが、よく眠れずにふと目を開けると、
朝空けの軽井沢の高原付近の景色がすばらしかった。
あの頃は周遊券を使って行き帰りに急行能登を利用しており、
今はなき熊谷駅の駅弁立売も買わなかったのが後悔。
就職バブル期だったので富山〜東京の新幹線代を企業からせしめ、
バイトもせずにそれで生きていた、そんなのどかな時代である。
でも、上京してきてからは、当然利用しなくなる。
それでも94年2月の取材では、行きは長野から帰りは金沢から利用した。
このときは489形電車に置き換えられていたが、結局これが最後の利用だった。
能登が今はなき七尾線輪島まで延長運転していたり、
福井まで延伸していたこともあったが、結局乗り通すことはなかった。
97年の長野新幹線開通で、能登は軽井沢経由から上越線長岡経由に置き換えられたが、
結局、上越線経由になってからは一度も利用しなかった。
富山時代の友人であるおとうさんは能登を利用してよく遊びにきてたものだが。
いま思えば2008年9月の上越取材が最後のチャンスだった。
しかし、能登では直江津着が4時台と早すぎて夜行バスに浮気してしまったのだ。
あのときに乗っておけばと今さらながら思うもの。
でも、葬式鉄はやっぱり廃止報道がされる前に静かに済ませたい。
ということで明日はまだ報道されていないが、東京発の寝台電車サンライズ出雲」に乗って山陰へ。
これもやっぱりブルトレの出雲で行きたかったのだが、もう乗れない。


冒頭写真は奈良の高木先生からいただきました金沢駅でのツーショットです。


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