『龍馬伝』第34回「侍、長次郎」

まずは本日の記録から。前日中に「青春18」の取材から帰ってきて、
午前様で録画を観たのですが、朝10時から新橋で打ち合わせがあったので、
そのままバタンキュ〜。朝は東西線・銀座線経由で新橋へ向かうも、
銀座線が人身事故で止まってしまい、都営浅草線に振り替え。
この場合、Suicaだと代替輸送を補償してくれないんですね。
打ち合わせが終わったあと、今度は急な誘いで、16時に永田町へ。
都道府県会館島根県安来市の観光情報説明会があり、
終了後には懇親会があってたらふく飲食。
そのあとも二次会に参加したので、さすがにこの日のUPもムリ。
ということで火曜になってようやく更新する次第です。


前置きが長くなってしまいましたが本題に入ります。
やはり先週はお盆が響いていたのでしょうか、
視聴率のほうはなんとか16.3%まで回復したようですね。
史実関係からいくと長次郎の切腹が慶応2年(1866)1月14日、
薩長同盟締結が21日、龍馬はこのとき下関ではなく、
京都にいるはずですが、無理矢理ストーリーをつなげたのでしょう。
「ユニオン号」の名義をめぐる諍いはたしかにあったようで、
そのあたりは龍馬と長次郎との間に溝が生じる関係が分かりやすい。
しかし、この時点で長次郎と他の隊士らが、
私利私欲をめぐって対立してしまうのは変な話。
長次郎のいう家計は火の車というのも現実味を帯びていますが、
実際は薩摩藩から給料が出ていたことには触れられていません。
しかも、長州からの謝礼金が藩主でなく、
話を違えてしまったお詫びとして伊藤・井上からもらうというのも変。
結局、この金で長次郎は海外渡航を企て失敗。
小曽根邸に匿われますが、実際は海援隊士に捕まって切腹させられたわけで、
このあたりの長次郎の切腹の背景が「侍」という言葉で、
ひと括りにされてしまったのが、余計焦点をぼかしてしまった気がします。
あと高杉晋作からピストルをプレゼントされ、
護衛の三吉慎蔵(筧利夫)が登場しましたね。
次回はいよいよ薩長同盟ということで、さらに最大の見せ場の
寺田屋騒動でどこまで視聴率が回復するのでしょうか。動向が気がかりです。
あと桐野作人先生の『膏肓記』も併せてお読みください。


史跡紀行では近藤長次郎のゆかりの地として小曽根邸跡や皓台寺の墓などが紹介されました。
皓台寺は訪問したのですが、近藤長次郎の墓は撮りそびれてしまいましたので、
今回は小曽根邸跡と冒頭で紹介された稲佐山からの長崎夜景の写真をUPします。

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