『龍馬伝』第35回「薩長同盟ぜよ」

31日未明に取材から帰宅し、録画の『龍馬伝』を観たのですが、
当たり前の如く、結局はそのままダウンしてしまいました。
それにしても第3部になってから視聴率苦戦ですよね。
薩長同盟という重要なキーワードでも15.4%とは。
やはり弥太郎を登場させたかったとはいえ、
新選組に捕らわれの身になるとはいうのは行き過ぎですよ。
薩摩藩邸に入った桂改め木戸ですが、龍馬の立会いを求めます。
その頃、寺田屋に停泊している龍馬は、お登勢・お龍に心配されながらも、
寺田屋を出て行こうとします。見廻組と新選組の確執も描かれていましたね。
なんとお龍が薩摩藩士の吉井幸輔を連れてきて、
龍馬は薩摩藩小松帯刀屋敷まで行こうとするが、
その前に龍馬と間違って捕えられた土佐の弥太郎を救おうと、
新選組の屯所へ向かう。この重大事に新選組屯所へ寄ろうとすること自体、
あり得ない話で、いくら伏見から小松屋敷へ向かう途中にあるとはいえ行き過ぎ。
結局、屯所の前で瀕死の弥太郎が釈放されて、
新選組と対峙することはありませんでしたけどね。
そして龍馬の立会いのもとで薩長同盟が成立しますが、
龍馬の提案した「国のために戦う」というのは第六条に脚色を加えた形でしたね。
龍馬と身分の近い新選組局長の近藤勇はすでに龍馬の「底知れぬ図太さ」を見抜いていたようですが、
それを知らぬ一会桑政権はよりお粗末に描かれていますね。
結局、寺田屋に捕吏を差し向けるも次回で取り逃すことになってしまうんですが。


史跡紀行では京都市上京区薩摩藩邸跡や小松帯刀邸跡、
京都府庁京都守護職跡などが紹介されました。
昨年7月と8月に京都を取材したのですが、
残念ながら薩摩藩邸跡や小松帯刀邸跡は時間がなくて撮り損ねました。
京都府庁守護職跡の写真だけは2003年に撮影していますので、
今回はこちらの写真をUPします。一眼レフで再撮したいところですが。

坂本龍馬創世伝』(メディアボーイをまだ購入していない方は、
ぜひこちらからご覧になって購入してくださいまし。


≪訃報≫
日高スタリオンステーションに繋養されていたスーパークリーク(牡25)が、
老衰のため29日に死去。ライバルだったオグリキャップのあとを追うような形になりました。
同馬は88年の菊花賞武豊に初GIをプレゼントし、
89・90年と天皇賞を連覇しました。バリバリのステイヤーなので、
種馬としては人気がなく、産駒にも恵まれなかったのですが、
一応、細々と種牡馬を続けていたんですね。
産駒は96年オークスに出走したハダシノメガミぐらいしか思い入れないなー。
やはりこういう貴重なステイヤー血統が亡くなってしまうのは寂しいですね。
ご冥福をお祈りいたします。


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