『龍馬伝』第8回「弥太郎の涙」

仕事は一生懸命やっているのに、複数重なってしまい終わりきらないもの多数。
でも、競馬と龍馬だけはテレビ休憩しているって、このぐらいの息抜きがないとね〜。
前回で視聴率20.2%と20%切りにリーチがかかってしまった『龍馬伝』。
いえ、作品のデキは『天地人』とは月とスッポンなんですがね。なんでかな〜。
今回は弥太郎が江戸に遊学していたところ、親父の弥次郎が故郷で事件に巻き込まれるところ。
時代は安政3年(1856)頃です。なぜ弥太郎が土佐藩中屋敷にいるのかなーという突っ込みはさておき、
江戸から土佐まで30日の歩程を16日で戻る弥太郎。なんか海まで泳いで渡りそうな勢い。
庄屋の島田便右衛門の田んぼの水独り占めがもとで喧嘩になりボコスコやられる弥次郎。
でも、安芸奉行所の役人は庄屋から賄賂もらっているので、一方的に弥次郎が悪いとされてしまう。
その頃、武市半平太平井収二郎岡田以蔵とともに江戸へ向かう。
ああ、もう武市と龍馬は決別してしまった感じ。龍馬は土佐勤王党に入らないのか?
で、ここで龍馬が山内家の親戚を殴って蟄居中の吉田東洋に訴えることを提案。
ここでまさか東洋と龍馬の接点であるとはね。でも、この面会は衝撃的でした。
さすが一筋縄でいかない東洋。「わしは天才じゃき相手を殴ってもいいがじゃ」
すげぇ自信過剰の傲慢ぶり。これがのちに弥太郎の師となる東洋かと思うと、
どうやって東洋の門下になっていくのか不思議。たしかに似た者同士かもしれませんが。
「力のない者は黙っておるしか仕方ない」
理不尽なことを言い放つ東洋。弥太郎のほうは奉行所に落書きして投獄されます。
まさかこの落書きをみて東洋が弥太郎の才能を知るとか……。
弥太郎が父のために帰ってきたことにやたらおせっかいになる龍馬。
でも、すぐに再び江戸へ行っちゃうんだよね。次の弥太郎との接点は何処に?
あと桐野作人先生の『膏肓記』も併せてお読みください。


史跡紀行では高知県安芸市の土居廓中や安芸奉行所跡などが紹介されました。
昨年9月に安芸市まで足を運んだものの、こちらは未訪です。
今回は関連写真やスタンプがなくて申し訳ないので、
安芸市へ行った証拠としてオープン前の安芸・岩崎弥太郎こころざし社中の写真をUPします。
このときはまだ何も準備されてなかったのですが、博覧会は盛り上がっているのでしょうか?
スタンプも設置されているとよいのですが。

坂本龍馬創世伝』(メディアボーイをまだ購入していない方は、
ぜひこちらからご覧になって購入してくださいまし。


あとこちらも間もなくなので、しつこく宣伝しておきます。
3月6日(土)18時よりお江戸上野広小路亭で、講談師・神田陽司さんの
坂本龍馬全仕事」が開催されます。
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