『龍馬伝』第11回「土佐沸騰」

空白のまま大変遅くなりましたが、20日の再放送でようやく更新ができます。
今回はなかなかストーリーの展開がうまいと感じられました。
まず、最初の弥太郎。長崎に出て藩費を使い込んでクビになって帰郷するシーン。
公費使い込みで長崎の花街・丸山でつい使い込んでしまったという。
なんとなくこのへんは父弥次郎の浪費癖を受け継いでいます。
また桜田門外の変から一年後、土佐では井口村刃傷事件が起きます。
この背景にも武市が下士を集め、煽ってしまったために仇討ちとはいえ、下士が上士を殺害してしまう。
土佐内乱の一触即発の事態に武市が制止するも止まらず、
龍馬が使者をかって出る。すごく龍馬が成長したと思わせる回でした。
しかし、まだこの頃の弥太郎って上士のパシリやっているようで逆に哀愁誘います。
あと吉田東洋の描き方がいいですね。ずっと無表情だった東洋が、
三度目に遭った際に龍馬に「わしが見誤ったのではない。おぬしが変わったのだ」と。
で、「お主何かを捨てたか」問う東洋に、龍馬は加尾の姿がフィードバックしますが、
北辰一刀流の免許皆伝になったとごまかし、ここであの吉田東洋が笑う。
これはゴルゴ13が笑うに匹敵する貴重な瞬間シーンです。
で、「上士に取り立てよう」という東洋に、「考えさせてくれ」という龍馬。
このあたり「破約攘夷論」(即今攘夷)を唱える武市半平太より、
富国強兵して外国に対抗する力をつける開国派の「大攘夷論」の違いがわかりやすく、
この大攘夷論勝海舟や龍馬が属すわけで、東洋もこの部類に入るのでしょう。
結局、下士からも上士からも誘いを受け、「自分の居場所がなくなっていく」と悩む龍馬。
これが脱藩につながっていくわけですね。本当ドラマのつくりが丁寧で感心しました。
さて、武市は下士を集めてついに土佐勤王党を結成。
大勢の下士の前に龍馬にも加盟を懇願するところで次回に続きます。
あと桐野作人先生の『膏肓記』も併せてお読みください。


史跡紀行では高知市吉田東洋ゆかりの少林塾跡や藩校文武館跡などが紹介されました。
高知市の長浜エリアおよび文武館跡も未訪ですいません。
今回は関連写真がありませんので、代わりに高知市・横堀公園にある武市半平太邸跡をUPします。

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