只見線で雪見酒

shugoro2009-12-31

本年の元旦にも行ってきました只見線に再度チャレンジすることになりました。
2日目の行程は下記の通りです。


直江津717→901新津935→1153会津若松1308→1742小出1751(1805)→
(1808)越後堀之内1828→1914越後湯沢2004→(Maxたにがわ88号)→
2037高崎2050→2241上野 ( )は遅延推定時間


朝は快速くびき野1号で新津へ。これは特急車両かつ停車駅も少ないので快適ですね。
ただこれも乗車率が低いようにみえました。まだ平日は需要があるのでしょうか。
どうも信越本線の乗車率をみても、新潟県北陸新幹線建設に足並みをそろえない気が
わからないわけでもありません。たぶん圏内の需要は少ないし、
せっかくつくった北越急行がパーになってしまう。
信越本線は海の見える区間が少ないので即眠り。
鉄道趣味で乗り鉄撮り鉄、蒐集鉄などありますが、
shugoroの場合は明らかに寝る鉄ですね。なぜかいくらでも眠れてしまう。
1年間の疲労蓄積もあったのでしょうが。
結局、この日はニンテンドーDSもほとんど使わなかったし。
今回は新津から磐越西線経由で会津若松に入り、只見線に乗るという、
いつもとは逆のパターン。というのはこの会津若松13時8分発は、
会津坂下会津宮下会津川口・只見と数分停車してくれ、
撮影にはもってこいの列車なのです。

ただ只見線の4時間は駅弁もないので食糧を予め確保しておかねばならず、
新津でタレかつ重870円(写真左)と新潟和牛弁当1050円(写真右)を購入。
前者は磐越西線内での朝食に、後者は越後堀之内での夕食にあてます。
会津若松は余裕もって到着し、昼食に駅近くのラーメン屋でラーメンと餃子で温まり、
30分前には席を確保すべくホームに並びましたが、
やはりマニア度の高い路線ですから、同じこと考えている人多数。
その前に懐かしい旧名鉄の特急北アルプスで使われていた
8500形のAIZUマウントエクスプレスが停車中でしたが、こちらは悲しいほどガラガラでした。
やってきた只見線の車両は2両編成でしたが、何と先頭車はオールロングシート
慌てて2両目に走りボックス席を確保しました。
この列車は先述のように時刻表でみると、会津坂下で7分、会津宮下で16分、
会津川口で5分、只見で14分停車し、この停車時間内でみないっせいに降りて撮影します。
ただ、残念だったのはこの会津坂下ではこの停車中にスタンプが押せないこと。
運転取扱に専念し、窓口業務を休止しなくてはいけない事情はわかりますが、
せめてその時間帯ぐらいスタンプを外に設置してくれればよかったのに……。
とはいえ、只見線の雪景色を観ながらの乾杯は最高でした。
只見線でも若干の遅延がありましたが、上越線ではさらに遅延。
本来なら小千谷まで行って折り返すところを、時間が読めないため越後堀之内で諦めました。
小出駅も窓口業務を18時で終了。越後堀之内はもっと早く終了するため、
待合室のストーブはつかず、とても寒いです。贅沢だった国鉄時代が羨ましい。
ところが上りの水上行も六日町で遅延し、しかも越後湯沢で高崎行に接続しない放送が入り、
新幹線利用の案内があったので、すぐに振替輸送と判断し越後湯沢で下車。
ルールを知らない係員がなかなか代行を認めようとしませんでしたが、
僕と先輩を含む「青春18」ユーザー5名は振替輸送を認めてもらい、
越後湯沢〜高崎は5人同一行動で移動しました。
まるで「青春18」一冊で5人同一行動しているような雰囲気で、
しばし、リッチな気分を味わいました。
それにしても水上で高崎行に接続しないのはおかしな話で、
このあとの高崎行でも、ギリギリ東京へ戻れなかったわけではないですが、
あの放送では振替輸送と判断する「青春18」ユーザーは多いわけで、
JRにとってはありがたくない客なのかもしれませんね。
結局、高崎には最初の計画より20分ほど早く着いたおかげで、
上野には22時41分に到着。晦日のうちに無事帰郷京しました。
いろいろあった2009年もこれでオシマイ。日記もちょうど1500日目到達で幕を閉じます。


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