出版界の諸葛亮

午前2時になってようやく写真整理が終了。
永遠に続く単調な作業さすがに昨日20時過ぎになって体調を崩しつつありました。
連休も残り2日間は雨に見舞われ、雨が嫌いなshugoroさんは、
五月病と寒気と湿気に身体が蝕まれています。カネヒキリも故障しちゃったし。
長かった連休も今日で最後。取引先によっては来週からのところもありますが
同じ事務所で作業するにしても電話攻勢があるないだけで、やはり環境も違い憂鬱になります。
明日は朝からさっそく電話をかけなくてはいけないところもあって本日から心労が絶えません。
打ち合わせも連日ありますので、本腰入れて掃除もしました。
取材から持ち帰ったパンフレットなどの資料も、整理しなければ宝の持ち腐れなわけでして……。


19時より『盛興園』で旧友に会いました。
彼は「出版界の諸葛亮ともいうべき人材で、
馬鹿殿阿斗(劉禅を自称する僕が、喉から手が出るほどほしい逸材だったのです。
残念ながら現在の不況下におかれた編プロ業界では彼を養えるわけもなく、
彼も別業種への転職を考えていました。
彼との出会いはもう10年以上前になりましょうか。
当時、僕が可愛がっていた中央大学の後輩も、戸山イズムを受け継ぐ優秀な人材でしたが、
師匠である御大の推薦で後輩よりさらに若い彼を紹介されたのがきっかけでした。
このときはインタビューの対談をまとめてもらったのですが、
ホテルでのアルコールが高すぎて、僕と友人はコーヒーにしか手が出せず、
トンカツを食して帰ったときにいろいろ話を聞いてびっくりしました。
彼は僕より10歳も若く、大学など進学せず未成年の分際で原稿を書きまくり、
成人して間もなく出版界でバリバリ活躍していたのです。
大学生の頃の僕といえば、ファミコンの『三国志』を18時間ぶっ通しでやっていた怠惰な頃です。
この差はなんだ! と思いながら我が身を反省したのでありました。
つまり親のスネをかじって遊んでいる道楽者との差です。
彼は出版界の黄金期を影で支えた優秀な人材でした。
しかし今日、彼の身の上話と真意を聞き、改めて自分が大変恥ずかしくなりました。
彼に比べれば僕の苦労などみたいなもの。
でも、その逆境にくじけず、不遇を嘆かず、前向きな姿勢で生きる友人は、
さながらキン肉マンマキバオーのようにみえました。
もし、彼が出版界に戻ってきたときは、斎藤道三ではありませんが、
残念ながら僕は友人の門前に馬をつなぐことになるでしょう。


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