先日、高校の同級生であったM岡が亡くなった。
告別式から推定すると5月31日のことと思われる。享年44歳。
以前にも書いたが、僕にとっては同級生の一人というだけであって、
とくに親しいという間柄ではなかった。
だが、T木先生にとってはかけがえのない親友であった。
そのせいかT木先生と3人で行動したことは何度かあり、
九州の修学旅行で日南線青島駅に寄ったときもT木先生に付き添っていた。
17年潜伏のうえで逮捕されたオウムの菊地直子容疑者ではないが、
2002年以降ずっと消息を絶っており、訃報もT木先生経由でもたらされたのである。
別に故人を酷評するわけではないが、歴史記録官の村野鎮守として
M岡の生き様を描きつづっておこうと思う。
『三国志』美濃書「M岡伝」より
M岡K治は美濃国可児郡の人である。
先祖は代々国鉄(現・JR)太多線のK駅前商店街で酒屋を営んでいた。
幼い頃から両親は離婚して家におらず、祖父母によって育てられたが、
店の手伝いをする真面目で、人情味あふれる人物で書道にも長けていた。
風貌は髭を生やして親父臭く、『おじゃまんが山田くん』のキャラクターである
おじゃま犬に似ていたことから、高校時代の渾名はもっぱら「犬」であった。
とくにイジメられたわけではないが、象脇同様いじられやすいタイプの人間で、
高校時代には数々の笑える伝説を残した。
〔1〕1年のとき、林間学習のバスの中でジェリー藤尾『遠くへ行きたい』を歌う。
たのきんトリオや松田聖子全盛の時代にこのすばらしい選曲。
車内は凍りつくどころかかえってウケて、替え歌がいくつもつくられた。
〔2〕国語の朗読で山羊を「やまひつじ」と読む。
〔3〕「溺れる者は○○○○」の問題に「久しからず」と回答する。
正解は「藁をもつかむ」だが、本人は『平家物語』の「おごれる者も〜」と勘違い。
「溺れる者は久しからず」という迷言を生んだ。
〔4〕H本にコン○ームの袋をはさんだままS君にプレゼントする。
S君は凍り付いて本ごと破棄。しかも口止めのスガキヤラーメン1杯を惜しんだため、
クラス中にばらされ、以降は「ゴム」と渾名される。
〔5〕太っていて元来汗かきで汗臭いため、古文の「香を焚き染める」から
「焚き染め男」と云われた。勉三郎は彼を「habit」と呼んだが、
これは和訳の「癖」を「くせぇ(臭い)」に引っ掛けたもので、
このガリ勉男は知識をひけらかす割にはセンスがない。
このような知力(?)からか、大学は三流のA大にしか入れなかったが、ここで変貌を遂げる。
元来は真面目な人間のため、大学4年間は授業を休まず、
教授に師事して優秀な成績をおさめる。
C大を「鶏肋」と云って中退するshugoroとは天と地の差があろう。
大学卒業後は学んだ経営学を生かし、そのまま家業を継ぐ。
しかし、店のコンビニ化をめぐって祖父と対立して家出。
武蔵国北足立郡の会社に数年つとめる。
ここでも「会社を辞めてやる」と大言壮語を吐きながら辞められない馬謖ぶりを披露。
本当に会社を辞めて路頭に迷わされたshugoroとはまたも対照的である。
のちに祖父と和解し、故郷に戻って家業を再開する。
T木先生はそんな彼を支援すべく、実家の会社ぐるみで酒の取引をしている。
しかし、取材でT木先生と帰省した2001年に逢ったのが最後であった。
水商売の女に貢ぎ、よいように捨てられ続けていたのは相変わらずのお約束。
その後、某ラーメン屋の二代目ボンクラに付き従い、またも家出する。
人間はよいのだが、思い込みが激しく周囲が見えなくなるのが彼の欠点であった。
翌年、T木先生が結婚式で彼を招聘しようとしたが、
連絡先も絶ってしまったため、ついに呼ぶことができず先生を嘆息させた。
そのぶんshugoroは先生と結婚式で約束したシャンパン5本に挑戦し、3本半でギブアップ。
しかも深酔いし頭痛激しく「シャンパンは酔わないはずなのに安物だろ!」と文句をつけ、
「あれだけ飲めば誰でも酔うわ」と周囲にたしなめられる。
2006年2月に祖母が死去。このときも連絡先を絶って葬儀にも出ないことで非難される。
そして2012年6月1日に今回の訃報が美濃国から届けられる。
野心はあっても先見性がなく猪突猛進。
結局失敗ばかりの人生だが、誰も責められるものではない。
晩年は越中国東礪波郡の山村にこもり、商工会議所のサポーターとなって、
子どもたちにも「五平餅のおじちゃん」と慕われ、
積極的に食品開発を行うなど幸せに暮らしていたようだ。
ネットの検索で引っかかった記事である。
地方版とはいえ、新聞に載ることで彼の虚栄心も少なからず満たされたのではなかろうか?
むしろ郡上八幡で余生を送ろうとしているshugoroがうらやむ晩年でもあった。
彼はやはりファスト風土より古き良き駅前商店街のおやじが似合っていたと思う。
ただ、連絡先がまったく絶たれているため、葬式にも参列できず、
弔電を打つこともままならず、親友のT木先生の無念はいかばかりであっただろうか?
最後にそんなM岡のひとつだけ印象に残った善行を記しておく。
かつてT木先生が義理の兄Sちゃんをイジメており、M岡がそれをたしなめたのである。
人間というのは十人十色で、T木先生のような猛勉強する努力家もいれば、
のんびり平和に暮らしたいという、Sちゃんのようなおっとりした人間もいる。
自分の価値基準だけで人を非難してはいけないと云うことがいいたかったのであろう。
そのM岡の死を知らせたのは、彼が庇ったSちゃんであった。
死因は心筋梗塞。元来太っており、酒ばかり飲んでいて不摂生も原因のひとつといえるが、
これはshugoroも人のことがいえない立場ではある。
しかし、そのSちゃんとも交際を絶ってしまったM岡の心情は計り知れない。
M岡よ安らかに……レクイエムでも聴きながら(鎮守)。