龍馬の江戸史跡取材(3月31日)

遅れ遅れになりつつ、4月3日になってようやく3月31日分の写真整理が終わりました。
4月1日の項ですが、前日の話題から入ります。
午前中は秋葉原でノート型パソコンをついに購入。
これで出張先で少しでも有効にPCが使えれば仕事の効率もUPするでしょう。
まだ、これでもスピードをUPせねばならないとなると目を回しています。
スピードに両脚がついていけなくなり、粉砕骨折予後不良にならないことを願うのみです。
競馬用語で書いてしまいましたが、つまりはオーバーワークによるダウンです。


話題を変え、午後からは群馬の清水先生と埼玉の川口先生の3名で江戸の龍馬関連の史跡を取材。
以前にも新・歴史群像シリーズでの取材でも撮影したことはあったのですが、
この頃はまだカメラがキャノンのG5でサイズが小さいまま。
再撮も兼ねた取材になりました。もちろん先生の案内で未訪の箇所もたくさんありましたが。
講武館跡・講武稲荷神社と回ったあと、千葉周作玄武館跡、お玉が池跡、お玉稲荷神社は再訪。
玄武館跡は4年前に行った時はまだ廃校のグランドなどが残っていたものですが、今や跡形もありません。
小伝馬町牢獄のあった十思公園は吉田松陰終焉の地がありました。
もっともこれは三ヵ所に同じ案内板が立っているので推定地ですが。
あとは千葉定吉屋敷跡(推定地)を撮影したあと、タクシーで中央区役所(土佐藩築地屋敷跡)へ。
海軍操練所跡を撮影後、再びタクシーで東京駅八重洲方面へ向かい、
鍛冶橋跡を撮影後、二重橋から根津まではメトロ千代田線を利用。
妙極院の樋口定伊の墓を撮影後、上野公園まで歩きましたはこれは結構辛かった。
最後は上野公園のサクラを見つつ、西郷像と彰義隊の墓をとって1日が終わりました。

今回はあまり見栄えのよい写真がないのですが、十思公園のサクラ(写真左)がきれいでした。
あと彰義隊墓所(写真右)に咲くサクラは戦没者を鎮魂しているかのようでした。
タクシーや地下鉄の移動があったとはいえ、結構歩き疲れました。
それにしても川口先生はさすがに詳しいです。
いま若い女性を中心に歴史好きな歴女さんたちも多いようですが、
ぜひ「川口先生と行く江戸史跡めぐりツアー」なんて企画が組めると楽しそうです。
このページを借りて歴女さんの参加者募集します!


≪忘備禄≫
4月1日は五反田打ち合わせのあと、3月28日分の写真整理でもうバテバテ。
雷も光った大雨でサクラが散ってしまわないかと心配でした。


【人気blogランキングへ】