脱禿論と脱亜論

本日は初校ゲラが入る前の谷間の待ちにあたり、久しぶりに企画書づくりに専念できた。
本にも目を通さねばならなかったので、環境を変えてデニーズで読書。
結局、本を読み終えただけで終わってしまった。企画書2本を作成せねばならないのだが。


話は変わって某地域雑誌が25年の歴史に幕を閉じるという。
現場の生取材が多く、ウィキにはない中身だったというが、
内容と結果が伴わないのも事実。スポンサーが減ったり、制作費のダンピングなど
諸事情もあっただろうが、後継者を育てなかったのも致命的な一因とみる。
以前、禿酒について述べたことがあったが、
不毛な飲み会と化すると、後継となる若手は参加しなくなる。これを脱禿論という。
少し前なら会社の経費で飲食代が落ち、その場で企画の話が出て仕事につながった。
超バブル期にはソープラ○ドですら経費で落ちたという。
しかし、これはすでに昔のおとぎ話。今では割り勘
年寄りの愚痴酒であったり、仕事にはつながらなかったりするため、
金と時間の無駄になってしまう。同年代と楽しく飲むわけではないからだ。
その年配も朝三暮四のサルのように操り、ピンハネした悪い輩もいれば、
別に悪気がなかった輩もいるだろう。しかし、すべては結果が求められるご時世になってしまっては、
仕事にもならないのに、そんな不毛な禿酒に付き合ってられるかとなってしまう。
それを「最近の若い者は」だけで片付けてしまってもよいのだろうか。
年配の方が古い慣習を踏襲しても、もう時代も次元も違っている。
今の若手は生活水準が著しく低い。若者が離れてゆくのもムリはないであろう。
飲み代はおろか電車賃すら捻出できないという悲痛な若者の叫びを聞いたこともある。
「そのうちなんとかなる」なんて云っていても結局何もならない。
それまでに犠牲にした時間は、金額に換算すると果てしない被害総額になってしまうのだ。
反面、無気力な若者が増えたのも事実。反対にこういう輩に付き合っていると
共倒れになりかねない。これが以前に書いた脱亜論である。


しかし、この脱亜論や脱禿論も当事者の生活水準に左右されることも事実である。
後継の育成も並大抵のものではないから
カリスマ編集者森田芳夫氏のようなリーダーシップが求められるわけだ。
後継を育ててこなかった某鉄道雑誌もそれで瀕死の状態にあるというが、
一方では新潮社の『鉄道旅行地図帳』が累計100万部を突破したという。
3月18日から発売される川島令三先生のキ○ガイ本もこれに近い数字が出ることを切に願う。


PS.本日の『盛興園』のランチは豚角煮丼と半ラーメンのセット。
これもニューメニューで(゚Д゚)馬ー!


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