予想をし忘れてしまったが、本日は川崎でエンプレス杯があったので、
パドックを少しみて1000円購入。あの白毛馬ユキチャンの美貌に騙されて、
同馬から馬連・3連単を購入したが、直線手前で失速し6着に敗退。
久々に地方競馬でドボンとなってしまった。
やっぱ不確定要素の多い不良馬場と牝馬戦が祟ったか、1番人気のヤマトマリオンも3着。
本命両頭がとんで馬連は21810円の万馬券となった。
ユキチャンのに騎乗した武豊のコメント。
「クロチャンになってしまった」
あのねー、逃げなきゃ、せっかくの白い馬体が泥まみれ。
ということでネットから写真を拝借した。クレジットを見て驚いたのは、
昔競馬雑誌でお世話になったカメラマンの撮影したものだったことだ。
地方競馬が好きなカメラマンで、僕の会社のホームページの写真も彼の撮影である。
馬好きでそのままカメラマンになってしまったのだ。
90年代の競馬バブル期、月刊誌でも成り立った古き良き時代であった。
競馬雑誌というのは馬がネタを提供してくれるものなので、
企画であまり困ることはない。ある意味ボロイ商売であった。
しかし、搾取して儲けていたのはトップだけで、下っ端は喰って行けず、
僕が競馬雑誌編集部を去るとき、感謝の気持ちでオレンジカードを贈った。
「いつか『競馬王朝』の雑誌を立ち上げたときは……」
と彼に云ったら、喜んで支援を約束してくれた。
しかし、いくら何でも、もはや当時のような競馬雑誌は不可能である。
今では過去を振り返る『優駿』と、コテコテの『競馬最強の法則』くらいしかない。
しょせん馬は予想。でもその予想は1カ月前にするのは難し過ぎるのであった。
一時期、競馬予想雑誌を月刊ではじめたこともあったが、5号で休刊となってしまった。
予想記事をトラックマンにお願いせず、内部で『競馬ブック』の参考にして書いていた。
ウィキ写しの走りであるが、こんな原稿では本が売れるはずもない。
それでも雑誌が成り立っていたことは、やはり古き良き時代なのだろう。
逆にいえば質を考えず本を乱発する時世こそ、あの編集部の必要性があると思うのだが……。
年を追うごとに競馬の仕事とは疎遠になり、
昨年はとうとう競馬の仕事はまったくなくなってしまったのだ。
あとで知ったが、2月16日付の読売新聞の記事。
笠松競馬の女予想師なでしこが廃業の危機にあるという。
この予想師まだ25歳と若いが、予想師だけでは当然喰って行けず、
工場のアルバイトで生計を成り立てていた。泣ける〜。
しかも不況でその工場をリストラされてしまったとか。嗚呼〜。
女性予想師は高崎にもいたが、しょせんそれはローカルな話であって、
鉄道の世界のように便乗アイドルにはなれっこない。
馬が好きというモチベーションだけで成り立っているのであろう。
少し前ならいくらでも競馬雑誌のコラムなどの依頼が来たかもしれない。
むろん、僕が競馬雑誌の編集長をやっていれば助け舟も出せたであろう。
しかし、全然関係のないジャンルでは、何もしてあげられないのだ。
新聞に出たことで少しは支援してくれる人が出ればいいのだが。
中央に果敢に挑戦し続けたあの強い笠松はもうない。
アンカツ・アンミツ・川原・柴山など一流ジョッキーの流出。
救いは中央のベテランに引けをとらない技術をアピールしていることだろう。
客寄せではないが、少しでもなでしこが注目され、笠松に人が集まりますように。