駅前食堂の限界

本日、隣のみどり公園で盆踊りがあり、出店のグルメを食い散らかしたのですが、
焼ソバ200円はまずくて後悔でした。かき氷100円は期待できないにしても、
99ショップで売っている焼ソバを自分でつくって食したほうが美味かったはず。
もっともいつも作るのをめんどくさがる僕ではありますが。
まずい焼ソバで思い出したのは駅前食堂のことです。
まあ駅前食堂というと、大体昔からお店を構えており、
長年親しまれてきたお店が多いのですが、最近はクルマの発達もあって、
駅前食堂から遠のいてゆく傾向にあります。
でも、果たしてクルマの影響だけでしょうか?
あの郡上八幡でさえ、駅前で「奥美濃清流そば」を唄った食堂はまずくて後悔しました。
出すの遅いし、そば湯も出ない。客をなめてます。
奥美濃」という響きに完全に騙されてしまったわけです。
駅前より町の生活圏にある食堂のほうがずっとうまかったわけですが。
全部が全部といいませんが、駅前食堂や売店の味の悪さが気になってしまうのです。
「駅の顔は町の顔」といいますが、古くからやっているとはいえ、
態度の悪い食堂や売店はそれだけで旅人の町に対するイメージを損ねます。
結局のところ老舗や世襲にあぐらをかいているだけでは、
味の多様化が進む現代では生き残っていけないのです。
どこで商売するのは勝手ですが、客も味を選ぶ時代です。
駅前という一等地にありながら経営不振で閉店してゆく食堂たち。
土地の賃料は高くてなかなか新しい飲食業をやるのはつらく、
コンビニや他の店舗にとって代わられてゆくのです。
そういう意味では故郷の小牧駅前商店街にはおいしい店がたくさんありました。
中高の頃は他の都市に比べて古びた商店街が不満でしたが、
味噌カツの店といい、味は抜群でした。区画整理に伴う店舗移転で、
こうしたおいしい店がなくなり、道路沿いの駐車場付の飲食店が中心となりました。
いま小牧駅のテナントもガラガラで、飲食施設を排除してしまった駅は死んでいます。


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