兵六餅

昨日の雨でサクラの花びらがかなり散ってしまったが、
サクラは今が見ごろ。水道橋に原稿納品に行く途中の中央線の車窓から見える
神田川沿いのサクラもきれいです。うーん写真撮りたいよ〜。
帰りに事務用品を買いに「サミット」へ出かけたところ、
入口で懐かしい駄菓子屋市をやっていました。
値段も駅構内のようにぼったくりではないので駄菓子を少々購入。
なかでも小学校高学年の時にハマッタ「兵六餅」は2つも買ってしまいました。
 
ボンタン飴とともに鹿児島県が誇るセイカ食品の銘菓です。
鹿児島のみやげでも有名ですが、名古屋エリアでは普通のお店でも売っていました。
たしか8個入りだったかと思うのですが、最初は30円でその後60円になりました。
小学校低学年の頃はボンタン飴(類似品のポンカン飴もあった)のほうが
人気だったのですが、兵六餅は僕や脇谷英康が好んで買いました。
抹茶ときな粉の混じった味がクセになったものです。
鹿児島出身の方もボンタン飴より兵六餅が好きだったようです。
高校・大学時代でも旅先のキヨスクで見つけると購入したものですが(この頃100円)、
東京へ来てから鹿児島の物産市以外ではすっかり見なくなりました
(ボンタン飴はキヨスクでも見かけますが…)。
鹿児島の友人が帰省がてらお土産に10箱入りを買ってきてくれた時は感激しました。
この兵六餅、ケツ出したおっさんのイラストが不気味で、
子どもが買うには抵抗があったのでしょう。
でもこの主人公の兵六は大石兵六といって大石内蔵助の子孫といわれ、
天明4年(1784)に毛利正直が『大石兵六夢物語』として書いた江戸風刺文学の傑作。
薩摩隼人の若侍が妖怪退治に出かける滑稽なストーリーです。
昔、ずっとこの話の内容を知りたいと思っていましたが、
セイカ食品が販促用に本を出しており、書籍にもなっています。
時代を感じさせる兵六餅ですが、製造開始は昭和6年(1931)。
イカラなボンタン飴のほうが大正15年(1926)と先につくられています。
それでもすでに75年の歴史があるわけで、この兵六を全国区にした創始者には脱帽です。
しかし、久々に買ってみて驚いたのは定価が150円(14粒)!
ずっと100円だと思っていたのに1粒10円以上。
水飴状なのですぐに噛みたくなり、すぐに1箱なくなってしまいますが
もはやなかなか手に入らない代物。噛まずにじっくり味わいたいものです。


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