さようなら旧名鉄新関駅舎

shugoro2015-04-02

桜の季節ですが、疎遠のままに終わりそうです。
昨夜は特集ページに入稿作業が明け方までかかり完全に時間が逆転。
もうここまで来ると、いかに頭が冴えてるときに仕事するかで
もはや睡眠時間を削っての無理な酷使はできない年齢に差し掛かっています。
本日は故郷からこんなニュースが。
【名残の駅舎、惜別の春 旧名鉄美濃町線新関駅
廃線からちょうど十年。関市栄町の旧名鉄美濃町線新関駅の駅舎の取り壊し工事が一日、始まった。
かつて電車が走っていた道路上の線路などは次々と改修が進み、
市内の昔の風景がどんどん姿を変えていく中で、
市民らの駅舎への思い入れは深く、往時を振り返るよりどころでもあった。
「ここから何度、岐阜に遊びに行ったことか。まさに“関の玄関”だった」。
同市緑町の栗山一郎さん(56)は懐かしむ。駅周辺にも喫茶店、パン屋、映画館、書店などが軒を連ね、
市内在住の人でも駅周辺に行くことを「関行ってくる」と表現するほど市の中心的存在だった。
 駅の開業は一九一一(明治四十四)年。旧駅舎は五八年に建てられ、
二〇〇五年三月三十一日までの約半世紀、公共交通の要を担った。廃駅後も、
駅前にシティバスや高速バスなどの乗り継ぎ拠点は残っていたが、
一四年四月に長良川鉄道関駅西口に「関シティターミナル」が整備されて役目を終えた。
 駅のにぎわいのピークは一九七〇〜八〇年代。同市緑ケ丘の乾達也さん(51)は
「毎日、朝七時五分のぎゅうぎゅうの電車に乗って高校へ。
新関駅はデートの待ち合わせ場所でもあった」
と顔をほころばせる。高校生御用達の服屋もあり、
服を買わなくても店長に恋愛や人生相談をする若者のたまり場だったという。
 八二年から名鉄社員として新関駅の駅員や美濃町線の運転手を務めた南波一彦さん(51)は
「地元の駅だったから、利用者に知っている顔は多かったしアットホームだった。
刃物まつりの時は、運賃を帽子でもらうほどの多くの人でにぎわった」と回顧しつつ、
「やっぱりなくなっちゃうのは寂しいね」とつぶやく。
 旧駅舎の取り壊し工事は、四月中の終了を予定。駅前で六十年近く両親とともに
店を切り盛りしてきた「大衆食堂栄屋」の福井満子さん(63)は
「昔は駅前を回る盆踊り大会もあってにぎやかだった。今は人も少なくなっちゃったけど時代の流れかな」と話す。
それでも、「駅舎があったころからの常連さんが今も来てくれる。
やれる限り続けていきたいね」と力を込めた(織田龍穂/2015年4月2日中日新聞


先月8日に関の百年公園へ行ったときに冒頭写真新関駅跡を通ったのが葬式見納めとなりました。
あのときは美濃町線廃線跡沿いに小屋名まで歩いたのですが
もうかなり廃線の痕跡がなくなりつつありました。
新関駅も廃止から10年放置されたままでしたが、ついに取り壊されるようです。
名鉄では珍しく1983年に建て替えられた鉄筋駅舎でしたから
旧美濃駅のように歴史的な価値がないと判断されたのでしょうか。
どうもこのあたりは自治体の情熱によって大きく違います。
廃止された名鉄美濃町線美濃駅や谷汲線谷汲駅は駅舎と車両が残されているというのに
揖斐線揖斐駅や八百津線八百津駅などはその負の遺産を払拭するかのごとく
廃止後すぐに跡形もなくなくなってしまいましたから。
その意味では旧新関駅も保存か取り壊しかで持て余していたのでしょうか?

名鉄美濃町線が全線廃止になったのは2005年4月。
まだこの頃は仕事が慌し過ぎて郡上八幡に行く機会も少なかったし、
この名鉄美濃町線に乗る機会もありませんでした。廃止寸前の葬式鉄で乗りに行きましたが、
この頃はまだカメラが一眼でなく、コンデジ撮影でした。
写真左がまだ現役だった頃の新関駅で、1999年4月に新関〜美濃間が廃止されましたが、
このときは名鉄が便宜を図って新関〜関間の0.3キロを建設し、
長良川鉄道関駅(写真右)に接続していた時代もありました。
しかし、この新線は活かされることなくわずか6年の命でした。
この廃止で本来の長良川沿いに岐阜市を結ぶという
長良川鉄道の夢は完全に断たれてしまったのです。

新関駅が現役だった頃(左)と廃止後(右)を比較するとやはり寂しさがありますね。
廃線マニアには垂涎ものかもしれませんが。
新関〜美濃間は過疎地にもかかわらず長良川鉄道と並行していたので
廃止は仕方がなかったかもしれません。
むしろ国鉄越美南線の頃は名鉄のほうが積極的に引き受けを打診していました。
でも、もし名鉄に移管されていれば、すでに越美南線自体がなくなっていたでしょう。
民間の鉄道会社では限界があるからです。
残りの美濃町線揖斐線田神線の廃止が打診されたときも、
行政は後手に回ってしまい、近鉄揖斐・養老線のように移管されることなく
2005年4月に廃止されてしまいました。とくに徹明町〜新関は15分ヘッドで運転されていたのだから
地元の方もクルマばかりでなく、もう少し利用して欲しいと感じたものですが
名鉄も学生定期を除けば高い運賃でしたので見向きもされなくなっていったのでしょう。
しかし、この名鉄美濃町線の廃止が長良川鉄道の利用客減を加速化させた感は否めません。
関で乗り換えて岐阜へ出るより、郡上八幡から直接バスで向かうほうが便利だし運賃も安いからです。
もちろん越美南線で美濃太田経由で岐阜へ向かう人は大回りになるのでそれほどいません。
先日に昼間に乗った美濃町線代替バスの空気輸送でも実感しました。
名鉄美濃町線時代はいくら赤字でも空気輸送は見たことはありません。

元々、旧国鉄越美南線は線形の都合があるにしろ、関・美濃・郡上八幡などは市街からはずれており、
名鉄のほうが繁華街に近い立地条件にありましたが
その地方の繁華街も少子化の影響もあってシャッター通りと化してしまい
さらに美濃町線の廃止が町の衰退を加速させてしまった感があります。
関市も新関駅跡を公園化やモニュメントを立てることなく、
そのまま無意味な都市計画で埋没させてほしくない。
ちょうど昨年4月に長良川鉄道関駅西口にシティターミナルができたことで
その使命を終えたともいえますが、やはり新線を6年で廃止させてしまったという
負の反省をもとに慢性的な赤字で悩む長良川鉄道の存続を真剣に考え
鉄道を活かした地域発展を進めていかねばならない時期に来ているのです。


本日の木之前葵ちゃん
6Rハートオブミニー8着シンガリ(8番人気)
10Rダイナミックワルツ6着(8番人気)


10Rは複勝圏内を期待しましたが、さすがに荷が重すぎた印象でしたね。
笠松開催では勝利を挙げられませんでしたが
着実に技量は上達していますので、次の名古屋開催に期待したいです。


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