明知鉄道取材記2

shugoro2013-08-17

25日未明になってようやく残りの写真340枚の整理が終わりました。
結局、1日かけて740枚の整理をすませた形ですが、
これでようやく執筆に取り掛かれます。それではまずはこの日の行程から。


恵那759→823飯羽間……極楽1057→1119明智1503→1517花白温泉1530→
1533山岡1728→1737岩村1850→1856花白温泉2010→2044恵那2111→2202勝川

朝はちょっと寝坊してしまいましたが、
ビジネス恵那プラザホテルでしっかり食事をとり、
コインロッカーに荷物を預けて軽量化し、
冒頭写真の明知鉄道全線フリーきっぷ1340円を購入して明知鉄道の取材をします。
このフリーきっぷ、なぜか公式のWEBなどには紹介されていないのか不思議です。
最初に途中下車したのは飯羽間で、ここから農村景観日本一の冨田地区へ向かいます。
しかし、完全に歩行での移動時間を誤りました。
富田地区の展望台へは炎天下で40分は優にかかったでしょうか。
展望台からの眺め(写真左)はたしかに農村風景がすばらしいのですが、
何を根拠に日本一としたのは正直わかりません。角度によっては工場も見えるし、
越後妻有地区や東北地方のほうがもっとすばらしい風景があると思ったからです。
この日本一に選定されたのが20年以上前の話なので、当時の話なのかもしれませんが。
結局、1本前の気動車に乗る予定でしたが乗り過ごしてしまったので、
次の駅の極楽まで歩き、バロー岩村店でしっかり安価の飲料水を大量に確保しました。
続いては終着の明智での取材ですが、こちらは2001年に歴史の取材で行った箇所を
おさえておきたいと考え、千畳敷公園や明知城跡などを回りました。
明智町はかつては明智光秀の生誕地として売り出していたこともあって、
光秀産湯の井戸や母お牧の方の墓所などゆかりの史跡が点在します。
しかし、前回も撮影したのですが、明知城跡近くにある光秀学問所(写真中央)
案内板も何もないし、トタン板で打ちつけた現代風の小屋。
何ざんしょ? 光秀の学舎を復元したというのでしょうか? かなり怪しい。
まぁ、こちらも炎天下を徒歩で山城中心に回ったため、
やはり時間がなくなってしまい、ここでも列車1本落としても、
取材箇所は全部回り切れませんでした。明智からいったん花白温泉へ行き、
陽の明るいうちに駅と温泉を撮影して折り返し山岡で下車。
ここ山岡では92年の取材のとき案内してもらった
観光農園ゆめ・大国へ行くつもりだったのですが、
途中で寄ったかんてん村パーク寒天茶屋のおばさんの話によると、すでに休園とのこと。
電話をしても通じず、オーナーさんが体調を崩されたか、亡くなったかのどちらかで
数年前から休園しているとのことでショックでした。
仕方ないのでここで寒天ラーメン650円(写真右)を食しましたが、
麺がトコロテンのような硬さでなく歯ざわりもよく
スープにもマッチしていて(゚Д゚)ウマー
いやこれなら麺好きぼ僕でも炭水化物とらずにラーメンを食べれて
ダイエットに最適なのではと思いました。
山岡をあとに最後は岩村で下車して岩村醸造も撮影し、本日の取材は無事終了。
汗もかいたことだし、ということで再度花白温泉へ行ったのです。
と・こ・ろ・が……この充実した1日の楽しさをぶち壊す目に。
風呂上がりのあと、売上協力とばかりに食堂でサワーと
山岡特産山金豚の串カツ定食を注文したのですが、
25分以上待っても出てこない。催促すると何と忘れていたというのです。
温厚な僕でもさすがに怒りました。食堂にいたのはわずか2名。
慌しくて忘れたわけではありません。
おまけにオーナーの子か親戚の子でしょうか。
食堂に出てきて走って遊んでいるのです。
客の子ならまだしも、温泉の食堂で遊ばせているのはいかがなものでしょうか。
百歩譲って疲労から注文を忘れたというのなら
客に誠意を見せてきちっと詫びるべきなのです。
T村N樹先生のように爆発したわけではありませんが、
本当にこの最後の花白温泉で不快な思いをさせられました。
列車の時間に間に合わないので、先に払ったお金は返してもらいましたが、
二度と行く気にはなれません。もちろんこんなことは雑誌の誌面に書けませんが、
ここで苦言を呈するのは接客に対する態度を改めないと、
明知鉄道ひいては沿線のイメージダウンにつながりかねません。
他の施設では本当にいろいろお世話になっただけに本当に残念な花白温泉でした。
そのため結局夕食は恵那に戻ったあとで、
駅のベルマートでおにぎりをかじるしかなかったわけで、
勝川に戻って実家で泊まりました(つづく)


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