松代と真田郷

26日になってようやくこの日の撮影分369枚の整理が終わりましたので、
歯抜けになっていました青春184日目の取材記をUPできます。
まずは行程からみていきましょう。


中野430→438代々木442→453池袋502→510赤羽523→645新町

今回の取材はS先生とK先生とともに真田関連の史跡取材でしたので、
基本的には新町で集合・解散ですので、中野〜新町の往復利用です。
それでも片道1620円ですから、往復すれば「青春18」でモトがとれます。
高崎線の始発基本線で6時45分に新町に到着し、S先生の車で篠ノ井へ。
篠ノ井駅でK先生と合流後、松代へ向かい、
最初に行ったのが川中島の戦いで謙信が本陣を置いた妻女山
川中島古戦場は2006年から何度も取材しているのですが、
アクセスの不便な妻女山は今回が初めてです。やはり車は便利ですね。
麓の上杉謙信槍尻の泉(写真左)を撮影後、
3月31日限りで廃止される長野電鉄屋代線の松代駅にも寄りましたが、
すでに葬式鉄昨年8月20日に済ませていますので、
今回はおちょこを購入し、ホームで1本動画撮影のみに止めました。
さすがに残り10日足らずですから葬式鉄は結構いました。
このあと松代から地蔵峠へ越えて真田郷の旧真田町(現・上田市)へ向かいますが、
途中、高坂弾正の墓のある明徳寺も撮影し、峠を越えて真田郷に入ります。
真田郷は今回が初めてで、真田関連の史跡が点在するので、
一度、上田からレンタサイクルで回ろうと考えたこともあったのですが、
今回は真田関連の史跡に詳しい両先生のサポートもあって、
信綱寺・真田氏歴史館・長国寺・日向畑遺跡・角間渓谷・長谷寺・山家神社・
・真田氏本城・真田氏記念公園などが撮影できました。
でも天候は曇がちで、さすがに真田郷は春の訪れにはほど遠く、
残雪もいたるところにありましたが、岩屋観音(写真中央)
長谷寺の幸隆夫妻・昌幸の墓などは凍結した雪道で命がけの撮影でした。
真田氏本城は真田郷(写真右)が見渡せる天然の要害で、
真田氏三代の処世と戦術のすばらしさがうかがえます。
真田郷撮影後は陽も落ちたので、上田駅でK先生と別れて
再び新町に戻って松代・真田郷取材を終えました。
しかし、「青春18」がある以上、このまま中野に帰るのはもったいなく、
後半のプランに突入します。( )は遅延時刻。


新町1931→1942高崎2002→2005北高崎2019→2022高崎2031→2146(2156)浦和2159
→2202南浦和2207→2211西浦和2225→2227武蔵浦和2235(2238)→
2303(2305)新宿2309→2316中野


わざわざ高崎へ足を延ばして未押だった北高崎の駅スタンプ押印し、
さらに先日の武蔵野線スタンプラリーで1駅だけ押せなかった、
西浦和駅にも寄ってラリー印を押さえて帰宅。これで応募もできます。

本日のグルメはランチが『そば処佐助』の佐助御膳1500円(写真左)
夕食は高崎駅弁の鶏めし800円(写真右)でした。
『そば処佐助』は真田郷の食事処で、古い民家を移築した建物に、
懐かしい暖炉のある雰囲気のよい店でした。
写真では分かりにくいかもしれませんが、そばの量が半端でなく、
揚げたての天ぷらとそばが(゚д゚)ウマー
高崎の鶏めしは既食済でしたが、この時間帯はもうだるま弁当と2種類しか残っておらず、
ホームの立ち食いそばも営業を終了していたので購入して、
ボックスシートのある信越線車内で食しました。これも(゚д゚)ウマーです。

スタンプは駅では北高崎駅(写真左)だけでしたが、
真田氏歴史館(写真中央)や上りの佐久PA(写真右)などの収穫もありました。
真田関連は以前取材したときに松代の真田宝物館や上田城のスタンプなどを
押印していたのですが、データ化していなかったので、発掘には時間を要しそうです。


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