小林淳一騎手が引退

空白の1日というわけではありませんが、
前日に長野に取材へ出かけており、帰ってきてからフォトカントリーの仕事をしていたため、
寝るのがすっかり遅くなってしまい、起きたのも昼と時間が逆転してしまいました。
しかも雨天のため、郵便局や『瀧本軒』で出かけることも叶わず、
食事も近くの『ローソン100』ですませてしまう横着ぶり。
ただ、最近はまっている「Ponta Card」はポイントが増えつつあります。
反面、毎回取材で11・25日のポイント10倍デーを逃しているのが『コモティイイダ』ですが。


そんな日常はさておき、昨日のJRAニュースで知ったのですが、
コバジュンこと小林淳一騎手(美浦・フリー)が3月31日(土)をもって引退し、
JRA競馬学校の教官に転身するそうです。
2010年9月29日の項でも書きましたが、
95年の『競馬フォーラム』の若手対談で編集者として初めて取材に立ち合ったのが、
この小林淳一騎手と土谷智紀騎手の対談でした。
そうです。対談相手の土谷騎手は2010年9月で引退しています。
『競馬フォーラム』の若手対談コーナーはもう15年以上前のことですから、
当時は独身寮の『若駒寮』にいた若手騎手たちもすっかり大人になり、
とくに取材で面識のあった小林淳一&土谷智紀、小林久晃高山太郎の4名は
もっとも思い出深い騎手で、彼らの成長を見守っていたものです。
この対談、いま思えばやんちゃな印象のあった土谷・高山騎手と対照的に
小林両名は本当に真面目で人のよい性格で、興味深いものがありました。
小林淳騎手は初年度から20勝を挙げる活躍をしていますが、
実は競馬学校で1年落第してデビューが遅れるハンデも背負った苦労人でした。
その頃からリバーセキトバの主戦をつとめており応援していたのですが、
リバーセキトバは地方移籍後に重賞を勝つなど、重賞制覇には縁遠く、
98年の再会のときにはそんな思い出話に花が咲いたものです。
初重賞は2001年のオイワケヒカリ(フローラS・GII)。
2003年にはイングランディーレ日経賞GII)、ダイヤモンドS(GIII)を制しました。
他にも人気薄の馬で穴を開けることでたびたび知られていました。
しかし、2008年からは騎乗数が減り、一ケタ勝利となってしまい、
すでに取材で面識のあった4名のうち3名は引退。
小林淳騎手も苦戦しているとはいえ、それなりに成績を挙げ、まだまだやれると思っていました。
しかし、数年前から教官のオファーがあり、昨年の成績(3勝)から引退を決意したそうです。
本年はこの時点で3勝を挙げており、まだまだやれそうで勿体無いと思うのですが、
本人が決断したことですから、温かく見守りたいと思います。
巷では人がよいから教官には向かないという声もありますが、
逆に現在だからこそ、スパルタの鬼教官より、
小林淳騎手のような人材が求められているのではないでしょうか。
ラストランは今週でなく、来週の31日(土)まで騎乗してほしいものです。
現在JRA通算299勝で300勝にリーチがかかっているし、
もう一度ぐらい穴をあけてほしいと願っています。


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