昨日の23日18時36分に栗東市内の病院で、
JRA調教師の小島貞博師(冒頭写真/スポニチアネックス)が亡くなった。
小島貞師といえば騎手時代はキングスポイント・ミホノブルボン・チョウカイキャロル・
タヤスツヨシなど名馬の手綱をとり、通算成績は4722戦495勝(重賞27勝)。
92年と95年の日本ダービーを制し、82年の中山大障害(春・秋)を制した、
偉大なるジョッキーであった。ただ、GIに関しては91年の朝日杯3歳Sまで縁がなく、
ここからミホノブルボンとの快進撃が始まった。
管理する戸山為夫調教師は、小島を我が子のように可愛がり、
ミホノブルボンの主戦をまかせた。ブルボンは750万円の安馬で、
「血統的にも距離がもたない」と蔑まれながらも、
戸山先生は「サラブレッドは血で走るわけではない。鍛えて走らせる」という信念のもと、
無敗で92年の皐月賞・日本ダービーを制した。
三冠がかかった菊花賞ではキョウエイボーガンにハナをとられ、
道中かかりながらの競馬でライスシャワーには差されたものの、
内のマチカネタンホイザを差し返し2着を確保した。
このときの筋肉の鎧をまとったブルボンは秋陽に照らされ黄金色のように耀いていたが、
それは人間がつくった最高級の芸術品でもあった。
ブルボンはこのあとターフに戻らず、1年後の93年5月に戸山師は他界。
ブルボンもあとを追うように94年2月で引退した。
この頃、小島師は某禿調教師の理不尽な仕打ちにあい、騎乗数も激減していたが、
かつての兄弟子・鶴留明雄師が声をかけて復活する。
94年にはチョウカイキャロルでオークスを、95年にはタヤスツヨシで日本ダービーを制し、
見事恩を返してみせたのである。98年以降は調教師試験を受けるため騎乗数が減り、
2001年に調教師試験に合格して騎手を引退した。
2003年から厩舎を開業して、05年にはテイエムチュラサンでアイビスSDを、
テイエムドラゴンで中山大障害を制した。厩舎成績は138勝(重賞5勝)。
小島貞博師の急逝は、最初、病院で亡くなったと報道されたので、
まだ60歳なのに、お身体が悪かったのかと思っていたが、
翌日になって真相が報道される。なんと自厩舎のトレセン2階で首を吊っていたというのだ。
自殺の理由には「厩舎経営に悩んでいた」と書かれていたが、納得がいかない。
小島貞師の厩舎成績は中ほどであり、昨年は14勝。
本年度もシゲルソウウンで山科Sを制したばかりだった。
彼ほどの厩舎が経営に苦しむなら、もっと下位の厩舎がとっくに解散しているからだ。
借金苦といっても、元々浪費家でない小島貞師が借金をつくってしまうのは変である。
このあたりは『夕刊フジ』に「親族が株の投資で失敗し、借金を肩代わりしていた」と
書かれていたが、おそらくこちらのほうが真相に近いのではないだろうか。
人から頼まれると断れない人柄の貞やんだから、自分独りで借金苦を抱え込んでしまったのだろう。
「いぶし銀」と呼ばれ、苦労人のサクセスストーリーを描いた小島貞師は、
まさにJRAの競馬ブームを盛り上げた、偉大なるホースマンであった。
家族を残したまま逝ってしまった小島貞師。
いまはただただ冥福を祈るばかりである。
検索ですばらしい追悼記事を見つけましたので、ここにリンク貼っておきます。
小島貞博調教師死去
http://blog.livedoor.jp/kas_p/archives/1768684.html
小島貞博調教師と今の競馬界
http://blog.livedoor.jp/kas_p/archives/1768966.html
小島貞博氏に菊を手向ける
http://www.plus-blog.sportsnavi.com/tanakatanaka/article/27