さようならブルボンクリエイション

shugoro2015-11-30

すでに主要な取引先関係者には書面をもってお伝えしていましたが、
2001年4月の創業以来、皆様にご愛顧頂いて参りました
冒頭写真有限会社ブルボンクリエイションは諸般の事情により、
11月末日を持ちまして業務を終了する運びとなりました。
出版の不況や郡上八幡への移住などもあり、本来ならば移住した7月の時点で解散すべきでしたが、
経理や支払の諸事情もあってここまで長引いてしまった次第です。

94年6月にフリーとして独立した当初はブルボンワールドでしたが、
7年後の2001年4月に有限会社ブルボンクリエイションとして設立しました。
社名の由来はいずれも92年の年度代表馬ミホノブルボンから来ています。
ミホノブルボン栗東故・戸山為夫調教師の管理馬で、
血統的には短距離系(スプリンター)で距離がもたないといわれながらも、
努力を重ねた坂路調教の結果、筋肉という鋼の鎧を身にまとい、
ついにサラブレッド界の頂点であるダービーを制しました。
そして、史上5頭目の3冠をめざし、無敗のまま最後の菊花賞に挑んだのですが、
惜しくもライスシャワーに交わされ2着に敗れました。
その後は故障のため、引退しましたが「サラブレッドは血で走るわけではない。
鍛えて走らせる」という、戸山先生の理論は実証されました。
「人も馬も磨けばみな光る」という信念は後世の人に受け継がれていったのです。
そのミホノブルボン種牡馬成績はイマイチで後継馬を残すことなく引退し余生を送っています。
また苦労人だった主戦の小島貞博師も2012年1月に他界。
努力や根性などのスポ魂だけではどうにもならない
現実も目の当たりにしています。時代の流れもありましょう。
しかし、戸山イズムと呼ばれる「ブルボンの魂」
松元茂樹厩舎で調教助手をつとめる安永司さん
ブルボンの生産牧場スマイルファーム(旧ファニーフレンズファーム)
現3歳が最後の世代となりましたがフミノ軍団
作田誠二厩舎で調教助手をつとめる田嶋翔
そして天使のスマイル木之前葵ちゃんにも受け継がれています。
この社名を考案した愛知支社長kazz君ミホノブルボンをこう評しています。
「ブルボンはよく最強の逃げ馬と呼ばれますが
あの優しい瞳に包まれた悲壮感漂う『逃げ』は、
馬の性格からでもなく、スピードの絶対値でもなく、
無気力になった人々を引っ張るために先頭に立ったという
『逃がし(先導)馬』のような気がしてなりません」

当社もその意味で微力ながらも旅行(鉄道)・競馬・歴史
三枚看板(三冠)で出版に携わる仕事を続けてきました。
一時は3人雇用していたこともあり、かなり無理をした時期もありました。
でもここでムッシュシェクルはいっぱいになりました力尽きたのです。
すでに東京を去る時点で再出発せねばならなかったのですが、
郡上へ来てここまでは、いろいろな意味であまりに忙し過ぎました。
いったん会社を整理しないとどうにもならない背景もあったのです。
今後は個人事業に戻り屋号郡上八幡葵の城」として、
郡上市長良川鉄道に関わる仕事を模索しつつ、
引き続き編集や執筆、写真撮影などをしてゆく所存です。
14年8カ月でありましたが、皆様の長年にわたるご厚情に心から感謝申し上げますと共に、
突然の廃業でご迷惑をおかけしますことを深くお詫び申し上げる次第でございます。
最後にホームページのほうはしばらく残しながら変更していこうと思います。
≪訃報≫
ゲゲゲの鬼太郎』などで知られる漫画家の水木しげるさんが
30日午前7時18分、多臓器不全で東京都内の病院でお亡くなリになりました。享年93歳。
ゲゲゲの鬼太郎』は子どもの頃のモノクロアニメは怖くてトラウマになりそうでした。
他に『河童の三平』とかも好きでした。
戦争を体験し、左腕を失いながら90歳を過ぎても
ずっと漫画を描き続けた、その魂は見事でした。ご冥福をお祈りいたします。


祝! 木之前葵ちゃん122勝目!
10Rジューヌノーブルは大外スタートから果敢にウチに切り込んで逃げ、
後続に1馬身半差の勝利。1番人気に応えました。それでは本日の成績から。


3Rジャイアントレーヌ5着(8番人気)
6Rコンフェッシオン2着(1番人気)複勝100円アタリ
8Rラブセレナード10着シンガリ(7番人気)
9Rエガオデコタエテ8着ブービー(8番人気)
10Rジューヌノーブル1着(1番人気) 単勝200円、複勝160円アタリ
11Rハヌルソンムル7着(6番人気)


6Rも1番人気で逃げてゴール前差されましたが
10Rはうまく逃げ切っての勝利でした。
ただ、3連単1着軸固定もはずしてしまったので収支はマイナスに終わりました。


【人気blogランキングへ】