みやこおち――ムッシュシェクルはいっぱいになった!

shugoro2015-06-05

すでに一部の親しい人には話していたのですが、本日、ここで公に発表します。
上京して24年と人生の半分以上過ごした東京でしたが、
6月29日(月)をもって中野区上高田のアパートを引き払い
翌30日から岐阜県郡上市郡上八幡葵の城へ移り住むことになりました。
まったく意味のなかった出版社、土日もなかった編集プロダクションを経て、
1994年6月にフリーとして独立。このときの屋号はBourbon Worldでした。
旅行(鉄道)・競馬・歴史三枚看板(三冠)で出版に携わる仕事を続けてきました。
その間に練馬区西大泉、豊島区南長崎、渋谷区代々木、新宿区上落合と移転し、
2001年4月に有限会社ブルボンクリエイションを設立。
その後も中野区東中野、新宿区上落合と移転し、
6回の転居を経て、今回の中野区上高田が最後の場所となります。
ジャンルの変遷としてはやはり旅行→競馬→旅行→歴史→旅行(鉄道)となりましょうか。
やはり『競馬フォーラム』『馬券攻略』など競馬の仕事に携われた頃が一番楽しかった。
真っ先に競馬業界がダメになりましたが、その後は歴史・鉄道業界などでつなぐことができました。
設立当初や繁忙期には社員を最大3名雇用していたこともありましたが、今では隔世の感があります。


今回の郡上移住と東京退去は4年前から考えるようになりました。要因は2つあります。
ひとつの要因は2011年7月に強制退去に伴う現在地への移転です。
そのあたりの事情はすでに2014年8月28日の項に書いていますので、こちらをご覧ください。
いずれにせよ本年7月27日には二度目の更新が来るので、
もうこんな不便な場所に住む理由も必要もなかったし、
現在のひどい不動産屋とは正直縁を切りたいのもありました。
もうひとつの要因はやはり出版を取り巻く情勢の悪化でしょう。
2006〜2010年まで毎年制作してきた大河ドラマ関連本もなくなり
あの歴史の老舗である歴史群像シリーズも赤本はなくなりました。
かなり原稿料のよかった男性誌の歴史連載も多いときは2本ありましたがこれもなくなり、
現在は連載1本しかなく、これだけではとても生活費まで捻出できません。
また鉄道関係のMOOKの仕事も減り、コンスタントに仕事が取れなくなると
どんどん悪い循環に陥っていった感じです。
仕事が流れている時代ならともかく、こういう時期に書籍・文庫・新書の編集は命取りになります。
半年〜1年がかりで数十万程度しか回収できず、ずっとそれに携わっているわけではないにしろ
この拘束期間の維持費を考えれば持ち出しです。
同時に編集へのモチベーション低下も挙げられます。
もちろん報酬額の減少というのもあるでしょうが、
僕の場合は裁量権のほうが大きいといえるでしょう。
例えば前日紹介した織田信長 覇道の全合戦』などは、こちらの裁量が重んじられましたが、
これ以外の版元や編プロのいいなり下請け編集になってしまうと、
もう人材派遣会社の時給以下になってしまうことしばし。
仕事をもらえるのはありがたいことですが、
やはり隷属的にならないよう仕事を選んでいかねば財政は圧迫されていくのです。
競馬の世界もダービーを見て明らかなように社台系の馬独占状態でつまらなくなり、
馬主の発言権が強くなりすぎてミホノブルボンを鍛えた
戸山為夫小島貞博のようなトレーナーはいなくなり、
「競馬がつまらなくなった」後藤由之勇退の道を選びました。
これが出版界でも顕著ですが、競馬界より救われないのは、
どうしようもない耄碌したトップが未だはびこり、
何度もやり直しやレイアウトの組み換えをさせる賽の河原状態の愚編集をさせることです。
もはやこうなると編集というより末期症状の介護です。
社員のように固定給といった賃金保障があるならまだしも、
時間ばかり費やされるフリーは時給に換算すれば明らかに命取りになります。
まぁ僕なら版元や編プロのいいなりばかりにはならないので、
請負先としては使い辛く仕事がもらえなくなるかもしれませんが、
仕事が欲しい受注者はいいなりにならざるを得なくなります。
こういう版元奴隷下請け編集をさせられていた時期に
泥沼状態となっていた三国志武将事典』の執筆がありましたから
余計に負の連鎖が続いていったのです。
おかげで2カ月続いた籠城戦のあともすぐに制作費が回収できず
夜勤を再開せねばならなくなったのですが、
これも2カ月後からは源泉が引かれるようになってさすがに止めざるを得なくなりました。
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今回の本題はまさに東京を去る心境といえましょう。
ライスシャワーメジロマックイーンの3連覇を阻止した93年春の天皇賞
ちょっと長いですが、ようつべの3:53頃を見てください。
「むっしゅしぇくるはいっぱいになった!」
このとき杉本清アナウンサーの台詞だけがずっと脳裏に焼きついていました。
ムッシュシェクル――デビューが3歳6月と出遅れたステイヤー
この年2月の遠賀川特別(500万下)では、のちに6連勝したアルゼンチンタンゴと一騎討ちを演じ
2着に敗れるも3着には10馬身の差をつける幻の名勝負を演じています。
その後、筑前特別と白鷺特別を連勝し、準オープンの身分ながらも春の天皇賞に果敢に挑戦。
意外にも穴人気で15頭立ての7番人気に押されてました。
レースもすごかった。条件馬のくせにあの当時の現役最強馬メジロマックイーンと同じ位置取り。
あのメジロパーマーの逃げで完全に弱い馬は脱落させられ、
ムッシュシェクルも4角手前で力尽き、人気通りの7着に沈んでいます。
そんなムッシュシェクルでしたが、鞍上が藤田に替わった途端、なぜか化けました。
アルゼンチン共和国杯日経新春杯阪神大賞典とGIIを3連勝し、
翌年春の天皇賞ではビワハヤヒデナリタタイシンに次ぐ3番人気に押されましたが3着でした。
このあたりはやはり同じ春の天皇賞で13着→7着→3着と
着順をあげたメジロパーマーに似ています。
その後は調子を落とし、明け7歳の京都記念で3着と復活の兆しをみせたときに故障。
小林稔調教師は翌年まで復帰に賭けましたが結局は引退しました。
冒頭写真は白井牧場で種牡馬となったときに取材したムッシュシェクルです。
このときは場長が「ファンが多くてほとんど同馬目当て」と語っていましたが人気があったようです。
しかし、人気とは裏腹にオーナーの他界もあって数年で種牡馬を引退。
現在は千葉県富里市の乗馬クラブ「オリンピッククラブ」で余生を過ごしています。
同馬は意外にも社台系生産馬ミホノブルボンの生産者である原口氏
「あの頃は社台も試行錯誤を繰り返していた時期で、まだつけいる隙があった」
ミホノブルボン伝説誕生の背景を述懐してくれました。
たしかに2冠を制したドゥラメンテアドマイヤグルーヴ最後の仔で、
それなりの血のドラマはあるのですが、金に糸目をつけない英才調教だし
その割には無敗でなく、取りこぼしもあるから盛り上がりに欠けるんですね。
だからこそ47年もオーナーを続け、未だGI戴冠のないフミノ軍団
原口さんの遺伝子を継ぐスマイルファーム生産馬
そして天使のスマイル木之前葵ちゃんに期待がかかるのです。


できることなら最後に中野駅に近い場所に引越し、
もうしばらく東京と郡上の二方面で動きたいという願望もありましたが経済的に力尽きました。
フリーの出版だけはとても生活できず、
弁当工場の夜勤の食いつなぎではすでに存在意義を失っています。
例えば編集プロダクションに入社して延命を図る方法もあったでしょうが、
それだと裁量権のない奴隷になりかねず、郡上へ訪れる機会を失います。
反面、長良川鉄道自体が輸送密度の低下で、末期症状であることは数字からも明らかで
早く郡上に拠点を構えて長良川鉄道を死守せねばという思いも強くありました。
ただ、更新が7月だったので、本当はそこまで東京にいたかったのですが
版元の入金も1カ月ずれたため、逆に移転を早めなければならなかった事情もあります。
この先、郡上八幡ではまだ具体的にどうするか考えていかねばなりませんが
やはりインターネットの環境を早急に整備せねばなりません。
一応、2階部分でネット関係の工事は終わっているものの
今後はコピー機なども移動するから、増設が必要になってくるのです。
みやこおちと書きましたが、むしろ郡上八幡葵の城への栄転で
ネット環境さえきちんとできれば、むしろ家賃負担のない郡上のほうが住みやすく
自然も豊かで食い物も(゚Д゚)ウミャアアアアア〜から
クリエイターの創造力が高まるのではないかと思います。
税金負担も多いため、法人の去就も考えていかねばなりませんが
郡上八幡での新たな活路こそ、今後の展望が開けるものと信じ、新しい人生を頑張ります。
ともあれ、金欠でも残り少ない東京での生活を目一杯満喫したいと思います。


本日の木之前葵ちゃん
3Rエルキュール6着(7番人気)
4Rジューヌノーブル2着(1番人気)
6Rラブセレナード7着(7番人気)
7Rマルマルフェイス4着(3番人気)
8Rハートオブミニー6着(7番人気)


うーむ、4Rは単勝130円の圧倒的1番人気だっただけに
逃げてクビ差交わされての2着はやはり痛恨! 
元返しの複勝は買えず、これで連日人気を裏切る形となり今週は未勝利。
またプチスランプに陥ってしまったか。それともマスコミの取材攻勢に少々疲れてしまったのか。
来週もホームの名古屋開催なので、誕生日までに軽く100勝に到達してることを願っています。


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