『江』第41回「姉妹激突!」

本日ようやく「はやぶさ」に乗って取材から帰ってきました。
撮影した写真は約900枚。今回はそれでも少ないほうですが、
こちらの取材記は追って更新することとし、まずは今週の『江』です。
それにしても『江』の録画は何度も失敗に泣かされたため、
今週は一応知り合いに録画を頼んでおいたのですが、
秋田県小坂町の宿泊先「とわだこ遊月」でタイムリーに観ることができました。


まずは先週のおさらいですが、歯抜けになっていた先週分もようやくUPしましたので、
ぜひリンク先もご覧ください。結局、前回より今回を先に観ることになりましたが……。
前回視聴率は15.2%で、前回比で0.5%減
下がっていく一方で歯止めがきかなくなっていますが、
前回は個人的にはよく大姥局の加賀さんの好演が際立っていたので、
それが視聴率に反映されない残念な結果に終わってしまいました。


本題です。母子間の屈折からますます根性の捻じ曲がる竹千代。
この葛藤が江には分かるはずもなく、竹千代は信長の少年時代を思わせます。
しかし、まぁこれを最終回までには修復させるのでしょう。
一体どのようなこじつけや唐突感になるのでしょうか?
一方の秀忠は父家康に反発する形で豊臣家との共存を模索。
秀頼にこの旨を文にて届けますが、家康のほうは相変わらずの豊臣イジメ。
そして方広寺鐘銘事件に発展。このあたりの淀殿演じる宮沢りえさんは見事ですな。
しかし、秀頼のほうは秀忠と江の書面を信じ、
片桐且元に弁明に行かせますが、且元は家康に会えず。
代わりに駿府へ赴いた大蔵卿局が家康と面会。
大蔵卿局がよい返事を大坂に届けたにもかかわらず、
あとで大坂に来た且元の返事は正反対。
結局、淀殿は一大名として受け容れることを拒み、
とうとう徳川と豊臣の戦いは避けられないものになります。
こうして大坂城真田幸村を迎えて大坂冬の陣が勃発します。
どうもこのあたり、もっと丁寧に描いてほしかったのですが、
完全に時代配分を間違えている脚本家ですから、致し方なきことでしょう。
こちらも観るのも辛くなっていますが、残りあと1カ月頑張って完走したいと思います。


史跡紀行では京都市東山区の豊国廟や大仏殿跡地、方広寺とあの事件の発端となった
方広寺の鐘などが紹介されました。家康が鐘銘に呪詛が含まれていると
因縁をつけたあの鐘ですが、現存しているところを見ても明らかなように、
豊臣家を滅ぼすための口実だったのです。
大仏殿跡地以外は訪問済なので、今回は豊国廟の秀吉の墓と方広寺
「君臣豊楽」「国家安康」の文字が白囲みされた鐘をUPします。

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