高山本線保線区の思い出

ここんところ、結構急な打ち合わせが入ることが多く、
いま抱えている原稿が遅れ気味に……m(_ _)m
なのにまた新しいブログ用の記事を頼まれてしまいました。
元ネタのストックはあるけど、大丈夫かな〜。
週末は台風のために取材を断念したため、青春18の利用期間は残り3日で3日分。
8〜10日と最後の3日間で消化しようとする無茶ぶりですが、
まずは8・9日と取材に出かけてきます。
米沢駅前で安い宿を見つけたので、予約のため電話したのだがつながらず。
やはり震災の影響で休止状態なのでしょうか。


ということで徹夜明けで出かける前に、原稿をもう1本脱稿せねばならないのですが苦戦。
えっ、ブログ書いている暇あったら原稿書けと云われかねませんね。
現在書いている原稿で、なぜか1982年に取材したデータが生きています。
タネあかしをしてしまうと、高山本線の橋りょう・トンネルの長さです。
国鉄時代の1982年当時は結構トンネルの右側にトンネル名と長さが書いてあって、
窓を開けて一生懸命確認したものです(よい子はマネしないように)
神岡線(2006年12月に廃止された神岡鉄道)のトンネルはすべてこれで確認できましたが、
開業の古い高山本線は看板が錆びて見えないものもありました。
そして橋りょうとなると、鉄橋の橋桁にしか記されていないので余計確認できません。
そこで夏休みの自由研究ということで、高山本線の橋りょうとトンネルを調べるため、
いきなりアポなしで最初に行ったのが美濃太田の保線区でした。
ここでは越美南線(現・長良川鉄道)と高山本線岐阜〜高山間の
橋りょうとトンネルの長さを教えてもらった記憶があります。
高山以北は高山と猪谷の保線区で調べましたが、
富山の保線区だけは職員がおらず、越中八尾〜富山間の橋りょうの長さだけが分からずじまいでした。
そんな子ども自由研究にも協力してくれた国鉄の古き良き時代でした。
これに付き合わされた脇谷英康にしてみれば災難だったでしょうが。
このデータをもとに脚本を書き、岐阜〜富山まで普通列車で6時間録音し、
120分のテープに編集したのが、「晃生おじさんの高山本線サウンドカセット」(非売品)でした。
作った当初はこれが真剣に売れると勘違いしていたようで……。
元のカセットは残っていますので、いつかようつべに動画を入れて再編集できるといいのですが。


しかし、なかなか橋りょうやトンネルの長さまで調べた本はなく、
昔、小学館から出た『日本鉄道名所 勾配・曲線の旅』にもこの手の資料が乗っていましたが、
こづかいが少なくて買えませんでした。
JR化後はこの手のデータが余計入手しづらくなったように思えます。
2006年4月に出た隔週刊『にっぽん列島鉄道紀行』(JTBパブリッシング)では、
取り上げた路線の20m以上の橋りょうやトンネルのデータが載っていましたが、
この資料もやはり国鉄時代のルートから入手したと思え、
取材に協力しなくなったJRから出た資料とは考えづらいのです。


でも、今回の仕事ではなぜかこの25年以上も前にメモした手帳が見つかり、大変役立っています。
当時のことですので、いま思えば相当アホなことも書いていますが、
何よりも一生懸命に調べた橋りょうやトンネルの長さがここに控えてあるのです。
しかも全線で60個あるトンネルの長さまでランキングしており、余程だったんですね。
このメモ帳は何度か実家に帰省した際に「使える」と思って持ち帰ったものですが、
まさかこんなときに役立つことになるとは思いもよりませんでした。
高山本線は線路の架け替えもないので、トンネルや橋りょうの長さは現在も生きています。
さぁて、そんな高山本線の魅力を書いた本は出てのお楽しみということで(まだ書いていないって!)
そのうち当ブログで昔の思い出の高山本線なども語ろうと思います。


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