週刊『JR全駅・全車両基地48号』

shugoro2013-07-12

発売と見本誌が届いたのは昨日でしたが、
久々に力を入れた仕事の集大成がようやく刊行の運びとなりました。
冒頭写真週刊『JR全駅・全車両基地48号』朝日新聞出版)です。
特集は岐阜駅、高山駅奈良井駅ほか68駅で、
中央本線洗馬〜土岐市駅間と高山本線の岐阜〜富山間全線全駅の紹介です。
この週刊シリーズは何冊かは執筆や写真、スタンプ提供で携わっているのですが、
今回は特集以外の中央本線洗馬〜土岐市26駅と
高山本線岐阜〜富山間45駅の計71駅を8ページにわたって取材撮影・執筆しました。
とくに高山本線の全駅は僕の専門分野で、このフィールドだけは譲りたくなかったこともありますが。
取材は高山本線昨年11月2日3日中央本線昨年11月17日12月5日
もうすでに半年以上も前に撮影したもので、
版元の事情もあって取材も前倒しだったのですが、
雪が降る前にということでしたので、車で全駅訪問したわけです。
まずは高山本線ですが、この路線は脇谷英康
実家が旧国府町脇谷(現・高山市)にあって、
脇谷英康にとっては故郷への列車であったと同時に、
その脇谷英康の実家へ泊まりに連れて行ってもらったのが昭和56年(1981)です。
その1年前から鵜沼〜坂祝間を乗っていましたが、
翌年には岩田ドラえもん高山本線・越美南線に乗りに行き、
ドラえもんはついに国鉄全線完乗に至ってしまうわけです。
ただ、列車に乗ってしまえば全駅の訪問は難しく、
中学3年の夏休み自由研究では高山本線全駅を取り上げるということで、
岐阜〜杉原まで親父のクルマでめぐった思い出があります。
そのときは杉原までで終着の富山までは行けなかったのですが、
高校になった昭和59年(1984)には岩田ドラえもんとともに
再度、親父のクルマで高山本線の全駅をめぐるに至るわけです。
このときは宿には泊まらず、当時はまだ開放されていた富山駅の待合室で
ドラえもんと駅寝(いま思えば安上がりだな〜)をし、
朝到着の寝台特急などを富山駅で撮影しました。
その後も部分的ですが、何度もクルマや列車で訪問し、
平成15年(2003)5月にも『鉄道浪漫創刊号』(イカロス出版で取材しています。
もっともこのときはまだデジタルでなくポジフィルム撮影でしたが。
なのでスタッフの車でもう一度全駅めぐりをしたのは本当に久々の約10年ぶりになりましょうか。
岐阜と富山を結ぶ幹線の高山本線安房峠東海北陸自動車道
沿線過疎化の影響で輸送力が激減し、無人駅も極端に増え、スタンプ設置駅も全滅に近く、
また駅弁や売店の撤退など、寂れていく一方です。
今回の取材でも飛騨古川駅のキヨスク撤退を目の当たりにしています。
ただ、一部の駅では1980年代に撮った駅舎も掲載していますので必見です。
まぁ、雑誌ですのでどうしても紙面の文字数が限られてしまうのは仕方ないこと。
それでも少しでも情報を載せようと、空白なく目一杯書きました。
一番珍しいのは農協が入って完全無人化を避けた下油井駅。
この駅は業務委託終了後から変わっていません。
また焼石駅も無人化後も地元民によってきれいに清掃されています。
思い出のエピソードとしては打保駅前の池。駅員がいた業務委託駅時代は
観賞用なのか食用なのか分かりませんが、マスが飼われていました。
無人化されると普通こういう池も枯池になってしまうものですが、
湧水のためか、まだ水は貯えています。もちろんマスはいませんが。
中央本線のほうは坂下〜土岐市間の岐阜県内の駅は
やはり1982年に脇谷英康と列車で訪れていますが、それより北の長野県に入ると、
列車での訪問は難しく、未訪の駅も多くありました。
ただし、11月17日に雨天で撮影強行し、カメラが予後不良となり、
原稿料より高くつくという手痛い出費もあり、
カメラ修理が間に合わずひとつ前のD80でリベンジ撮影という悲劇もありました。
訪れた日に雨が降ってしまうと本当にどうにもならなかったわけです。
ということで35ページで定価が590円なので、買ってくれとは云い辛いものがありますが、
高山本線好きにはぜひおすすめの一冊といえましょう。
古い写真でもまだまだ未公開のお宝もありますので、
いつか紙面かネット上で発表できるとよいのですが。


話は変わりますが10日にはこんなニュースも
【引退騎手の復帰へ条件を大幅緩和…騎手不足深刻化でJRA】
 来年度(14年3月1日〜)のJRA騎手免許試験の要項に「引退騎手の再受験」に
関する規定が明文化されることが9日、明らかになった。従来も引退騎手の受験は可能だったが、
今回からキャリアなどを考慮した上で技術試験の免除など、
条件を緩和して復帰への道筋を大きく広げる。
3日に開かれた免許試験委員会で正式に決定した。
 騎手不足に悩む現状を踏まえ、JRAが迅速に措置を取った。
中央所属騎手は減少の一途をたどっており、9日現在で126人。30年前(247人)の約半数、
10年前(166人)との比較でも大幅減となっている。今年1月20日には中山・京都の障害レースで
騎手不足により2頭が出走取消を余儀なくされるという、珍事件も発生した。
 近年はベテランだけでなく若手の引退→調教助手転身も多く、昨年引退した23人のうち8人が、
まだ体力面に余力を残す20代(当時)だった。今後復帰へ意欲を示した場合に備え、
JRAは引退騎手の再受験の規定を明文化する必要があると判断。8月上旬に公示される
騎手免許試験要項に盛り込まれる運びとなった(デイリースポーツ 7月10日(水)9時1分配信)


うーん、これって藤田伸二新刊『騎手の一分』で警鐘を鳴らしていたことが、
早くも現実のものになりつつありますね。
それならまずはエージェント制によって一極集中になり、
騎乗機会のない騎手との弊害を緩和しないとどうにもなりません。
いったん騎手免許返上してから再度騎手になったのは過去には蛯沢誠治(故人)
道路交通法違反でいったん返上し、再度復活した西田雄一郎がいますが、
現行の制度では1勝もできずに引退したヘタレジョッキー大沢辰也
同僚騎手のスニーカー窃盗でそのまま引退してしまった佐藤聖也
貞やん厩舎解散で騎乗がなくなってしまった田嶋翔などが戻ってくるとは思えません。
ただ、一度引退した騎手が復活するというのはそれなりにドラマ性も生まれるわけで、
本当に騎乗機会の少なかった美浦の若手あたりは復帰して欲しいものですが。
武豊や蛯名正、芹沢、塩村など若手ジョッキーが台頭した
第3期生にも長峰一弘という騎手がいました。
下手ではなかったけど、とにかく騎乗数に恵まれず、わずか6年の通算25勝で引退。
この騎手のラスト騎乗は95年9月24日。この日一鞍騎乗であったが、
5番人気のパンペロウで武豊騎乗マイネルフォレスタ(4番人気)を
ハナ差押さえて有終の美を飾りました。
これを見ても騎手の巧拙ばかりでなく、騎乗機会の運不運もあるなと痛感させられたものです。


本日の木之前葵ちゃん
12Rダンシングムーン9着シンガリ(8番人気)
うーん、スタートはうまく切ったのですが、
やはり馬の能力でズルズルと下がりっぱなし。
大差負けのシンガリとなってしまいました。連闘のマイナス11キロですし。
それでも最低人気にならなかったのは葵ちゃん人気でしょうか?
完全な競走馬不足だし、記念馬券でも売れてくれればと御の字か。
でも、この馬だって走ることしか存在意義が見出せないのもたしか。
7勝目は次の名古屋開催へとおあずけです。


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